広島城天守閣の南東約mに位置し、外堀(八丁堀)の一部と、外郭(広島城の三重目の郭)にあった武家屋敷地などからなります。ここは、18 世紀には「御用屋敷」という藩の役所があった場所で、江戸時代以前の建物や塀、井戸などの跡や、明治時代以降の軍関連の施設跡、陶磁器や木製品、銭貨などの大量の遺構や遺物を確認しました。 また、江戸時代の広島城下で起きた最大の火災「宝暦の大火」(1758年)のときのものと考えられる火災処理の跡を、発掘調査として初めて確認しました。