県史跡 恵下山(えげやま)城跡
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なまえ
県史跡 恵下山(えげやま)城跡
(会下山城跡、恵下山ノ城跡)
所在地
広島市安佐北区真亀
時代は?
鎌倉時代末〜室町時代末期
どんな遺跡?
山城
本城跡は、弥生〜古墳時代の竪穴住居跡とともに県史跡に指定され、恵下山公園として公開されています。太田川左岸の低丘陵上にあって、西の太田川・南の諸木川を天然の堀として利用し、南の地蔵堂山城跡とともに太田川右岸の八木城跡と対峙しています。
郭の配置は、1郭から南西方向に三つの郭を階段状に並べ、1郭の東・西両斜面には帯郭を置いています。また1郭東隣りの小丘陵には出丸が設けられています。全体的な縄張の形状は馬蹄形をしており、合計15の郭からなります。高陽ニュータウン建設に伴い発掘調査が実地されており、その結果1郭から建物八棟分の柱穴群・柵列・石垣などの遺構が確認され、1郭を中心に陶磁器・土師質土器・鉄製品・スラグ・坩堝など多くの遺物が出土しました。
本城跡はその地形的環境から水軍城としての機能も指摘されています。城主は金子氏と伝えられるが、詳細は不明です。城郭の使用された時期は、出土遺物によれば鎌倉末〜室町末期の頃と推定されています。
「広島県教育委員会『広島県中世城館遺跡総合調査報告書 第1集』1993より転載
【略測図】
「広島県教育委員会『広島県中世城館遺跡総合調査報告書 第1集』1993より転載
山城ってなあに?(歴史の扉第9号)
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