地蔵堂山(じぞうどうやま)城跡
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なまえ 地蔵堂山(じぞうどうやま)城跡
(地蔵堂山古城跡)
所在地 広島市安佐北区落合3丁目
時代は? 中世
どんな遺跡? 山城
 本城跡は、高陽ニュータウン建設に伴って発掘調査が実地されています。城跡の北側には、諸木川が流れて太田川に合流しており、恵下山城跡とはこの川を隔てて対峙しています。また、太田川の対岸には八木城跡があります。
 郭の構成は、1郭から大手に当たる北西方向に郭5、南西方向に郭2、南東及び北東方向にそれぞれ郭1と、合計10の郭を配置し、城域の長さは、370mにも及んでいます。なお、城跡の先端の低地には、「土居」という地名が残っています。発掘調査の結果、1郭の北西に接する堀切から土橋の機能を持つ遺構とそれに付属する木橋の存在を示す柱穴群が発見されています。また、遺物は陶磁器・土師質土器・鉄釘などが出土しています。
 城主については、久村玄蕃允と伝えられています。

「広島県教育委員会『広島県中世城館遺跡総合調査報告書 第1集』1993より転載
【略測図】

「広島県教育委員会『広島県中世城館遺跡総合調査報告書 第1集』1993より転載
 
山城ってなあに?(歴史の扉第9号)
 

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