
【略測図】

「広島県教育委員会『広島県中世城館遺跡総合調査報告書 第1集』1993より転載
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なまえ |
新宮(しんぐう)城跡 |
所在地 |
広島市安佐北区可部町下町屋 |
時代は? |
中世 |
どんな遺跡? |
山城 |
本城跡の下で根ノ谷川と桐原川が合流しています。この地点は三入新庄への入口に当たります。
遺構は、最高所の1郭とその南の三入神社境内の郭が残るのみで、城郭の全体構造を把握することは困難です。
三入神社は、熊谷氏が甲斐国から勧請し、社領を寄進されるなどその保護を受けたといわれます。『群中国郡誌』によれば、末田氏が元亀年間(1570~1572)から社職を務めていたとあり、1572(元亀3)年には熊谷高直が鋳鐘を寄進しており、この頃から末田氏が新宮城を支配していたと考えられます。
「広島県教育委員会『広島県中世城館遺跡総合調査報告書 第1集』1993より転載 |
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