芸州口の戦闘の様子を描いた瓦版。幕府からの先鋒の命令を拒否した広島藩に代わり、彦根藩(近江国・現滋賀県)と高田藩(越後国・現新潟県)が先鋒(せんぽう)として攻撃をしかけますが、すべて長州軍によって押し戻されました。長州軍は、芸州口に奇兵隊を投入していませんが、「奇兵隊」(▲印)の文字が見えます。海に描かれているのは幕府海軍の軍艦です。
『陰徳太平記』は戦国時代の歴史軍記ですが、幕府が負けた戦争を描くにあたり、あえて戦国時代の軍記物の表題を入れて、いつの時代かわからない形で出版されたと思われます。
■中国戦場大島郡記大炮大焼之図『陰徳太平記図会』(広島城蔵)
木版色摺
大島郡記となっていますが、芸州口と大島口の戦いの様子が同一画面に描かれています。
海から大砲を撃っているのは幕府海軍の軍艦です。大島口の戦いでは、松山藩兵と幕府海軍が一時期周防大島に上陸しますが、長州軍は、第二奇兵隊を急行させて島内から幕府軍を一掃します。
津和野藩は長州軍を素通りさせたため、石州口の戦いは益田で火ぶたが切られます。益田から退却した幕府軍が浜田城の西方の周布川で長州軍と対峙(たいじ)する様子が描かれています。ここにもいないはずの「キヘイタイ」(▲印)の文字が見えます。当時、長州軍=強兵=奇兵隊と考える傾向があったと思われます。長州軍に押された幕府軍は、浜田城を自焼させて退却し、長州軍はそのまま天領(※)石見銀山まで進軍し制圧します。
※ 天領 幕府直轄領
小倉口での戦いの様子が描かれています。関門海峡をわたり小倉藩領に攻め込む奇兵隊も描かれており、幕府軍が撤退の際、火を放った小倉城や屋敷が燃える様子も描かれています。