■解説 〜広島の殖産興業〜

 政府は、西洋諸国からの様々な圧力に対抗するため、国家の近代化を図る産業政策を推し進めました。政府が資本制生産様式移行のために展開した産業保護育成政策のことを「殖産興業」と呼んでいます。
 まず政府は、鉄道など大規模な官営事業を創設し、紡績などの模範工場や牧畜などの官営諸施設を設置し、のち政府主導から私企業への各種補助金,勧業資本金の交付などに重点を移していき,近代産業の形成を促進しました。広島では、明治15年(1882)に官立広島紡績所が竣工し、近代産業の先駆けとなりました。
 広島における産業は、藩政期から続く染手ぬぐい、山まゆ織り、木履、傘などの在来産業に、新たにマッチや缶詰などの産業が加わりました。明治中期の山陽鉄道の開通を機に販路の拡大が進み、発展していきました。

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