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■海塚紡績所小深川工場(同免英昭氏蔵/広島市公文書館提供)
 明治時代後期

 官立広島紡績所の払下げを前提に、広島綿糸紡績会社は明治14年(1881)6月に設立されました。農商務省に対し、上瀬野村の第1工場の払下げ交渉とともに、佐伯郡小深川村(現在の佐伯区大字下小深川)に第2工場を建設することを依頼しました。明治14年(1881)に起工した第2工場は、明治16年(1883)に竣工しました。
 明治21年(1888)には、水不足で効率の悪い第1工場は閉鎖し、広島区河原町(現在の中区河原町)に移転しました。小深川と蒸気で稼働する河原町の2工場での生産は軌道に乗りましたが、過剰生産による国内綿糸価格の下落、金融のひっ迫、金利の高騰、綿糸生産の縮小、紡績業の苦境という「明治23年(1890)恐慌」の渦中で経営が悪化し、休業を余儀なくされました。
 株主総会で広島綿糸紡績株式会社に組織変更され、実業家の海塚新八が株式を買収し、明治35年(1902)に海塚紡績所と名称変更しています。

海塚紡績所小深川工場(同免英昭氏蔵/広島市公文書館提供)

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