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■宇品新開干拓・宇品築港計画図(広島県立文書館蔵)
 明治17年(1884)1月

 太田川デルタにある広島市域は、上流域から運ばれた大量の土砂が堆積するため、干潮時に大型の海船が川を遡上することができませんでした。江波島(現在の江波山)の港や宇品島(現在の元宇品)で川船に荷を載せ換えて町まで運ぶのは煩雑で、近代的な貿易港整備が喫緊の課題でした。
 県令に着任した千田貞暁は、京橋川河口の皆実新開と宇品島の間を堤を築いて新開地をつくり、先端に港整備する計画を立てました。
 新開の排水や海苔採取の減少など、生活上の諸問題が懸念されることから、沿岸住民は反対運動を起こしますが、千田貞暁自らが説得にあたり、話し合いをまとめました。
 この図は、「宇品築港及新開築調一件(五冊ノ内第壱)」に添付された宇品干拓及び宇品築港の計画図。この図では、現在の「御幸通り」や宇品海岸の埋立地はなく、桟橋は宇品島に設置することになっており、大幅な設計変更が行われて完成に至ったことが分かります。

宇品新開干拓・宇品築港計画図(広島県立文書館蔵)

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