■解説 〜近代軍隊の誕生〜

 明治維新の動きの中で、各藩はフランス・イギリス・オランダといった西洋列強から武器を輸入し、その国の戦術を取り入れ近代化された藩兵を誕生させています。明治4年(1871)2月に、政府は政府直轄の軍隊を整備すべく、皇居を守護するため薩摩・長州・土佐藩から藩兵を差し出させ、御親兵(のち近衛兵)を組織します。また同年4月には東山道鎮台(石巻)と西海道鎮台(小倉)を置き、近藩兵を集めることにしますが、7月の廃藩置県により実行されず、新たに東京・大阪・鎮西(小倉当分熊本)・東北(石巻当分仙台)の四鎮台が設置され、旧藩兵を招集し近代装備の鎮台兵が誕生します。この時、広島城内には鎮西鎮台第一分営が置かれました。こうした軍事力の急速な整備は、地方の反政府勢力を鎮圧させるという明治新政府の切羽詰まった状況を示しています。
 明治6年(1873)1月には徴兵令の太政官公布があり、満17歳から40歳までの国民の男子を兵籍に登録し、満20歳で徴兵検査を受け、合格者を兵役に服させる制度が誕生します。

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