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■北清事変

 明治33年(1900)5月、清国の宗教集団の義和団が、排外運動から暴動化し、各国公使館を包囲し攻撃を行いました。さらにこの混乱に乗じて6月には清国の西太后が欧米列強に対して宣戦布告をします。この鎮圧のためイギリス・フランス・ドイツ・ロシア・オーストリア・イタリア・アメリカ・日本の8か国連合軍が公使館保護のため派兵します。日本からは第5師団中心の臨時派遣隊が編成され、8月には北京まで進軍し戦闘に参加しました。結果として西太后と光緒帝が北京から逃亡し、戦闘事態は短期間で終了します。
 この戦いでの戦死者を追悼するための北清事変記念碑が明治39年(1906)、西練兵場の東端(京口門付近)に建立されました。

■絵葉書「北清事変記念碑」(広島市公文書館蔵)
 大正頃発行

絵葉書「北清事変記念碑」(広島市公文書館蔵)

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