■解説 〜日露戦争と第5師団〜

 日清戦争時は、日本の陸軍は近衛師団を含め7個師団の兵力でしたが、日清戦争後の明治28年(1895)に陸軍の兵力を13個師団に増設することが決まりました。三国干渉(フランス・ドイツ・ロシア)において海外の列強の力に屈服したことから、国民生活への影響が大きいけれども、軍備の拡大を推進し、列強の仲間入りを目指しました。
 ロシアは北清事変で清国に大軍を送り、そのまま居座った状態になり、満州を占領し朝鮮半島にまで勢力を伸ばし始めました。日本は、このロシアの南下政策に対抗し、朝鮮半島と満州での権益を守るため、明治37年(1904)2月10日、ロシアに宣戦布告をしました。
 第5師団は当初第2軍に加えられ、6月に新たに第4軍が編成されるとその下に入り、遼陽会戦、沙河会戦、奉天会戦に参加しています。これらの会戦に勝利し、海軍が日本海海戦でも勝利したことにより、明治38年(1905)9月にアメリカの斡旋の下、ポーツマス条約が締結され、終戦となりました。

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