■解説 〜戦地の後方支援拠点としての広島〜
明治27年(1894)に起こった日清戦争の際に、当時山陽鉄道の西端の広島駅と、宇品港を結ぶ軍用鉄道「宇品線」が8月4日着工し、8月21日に開通しました。こうして広島は大陸への軍事輸送に貢献することとなり、それをきっかけに、兵士の食料や軍馬の飼料を扱う糧秣支廠(りょうまつししょう)、兵器などを扱う兵器支廠、衣類やテントなどを扱う被服支廠が整備されていき、広島は第二次世界大戦終戦まで戦地や部隊に物資を送る戦地の後方支援拠点(兵站(へいたん)基地)としての役割を担っていきます。
「廠(しょう)」とは、軍需品の調達、補給、保管、試験、研究などを担う部署のことで、質や量を確保する必要がある軍需品は独自に生産し、それ以外のものは民間企業に製造委託していました。また、市民にとっては、工員としての就職先、業務の請負先、勤労奉仕先としてなじみのある存在でした。
このように、官民挙げて軍需産業を支える体制が整っていったのです。
※三支廠は年代によって施設名称の変更が行われています。本展示では特別な場合を除き、それぞれ「糧秣支廠」・「兵器支廠」・「被服支廠」としています。