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■兵器支廠構内図(広島市郷土資料館作成、提供)
昭和5年(1930)頃
当初の所在地は定かではないですが、広島城周辺にあったと考えられています。その後移転を繰り返し、明治40年(1906)比治山の東側の東新開町に兵器庫が造られ、大正8年(1919)に事務所等も移し、機能を集約させました。
構内には軽便軌道(トロッコ)がめぐらされ、併設されている宇品線で物資が運搬できるようになっていました。また、火薬庫区には爆発事故に備えて巨大な土塁が築かれています。

軌条 --- 軌道のこと
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