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■填薬作業(広島市市民局文化スポーツ部文化振興課蔵)
 昭和10年代

 大正期の記録では男工100人前後、女工50人前後が働いていました。官営だったので、比較的高賃金だったようです。これは昭和10年代、砲弾に炸薬を充填している様子です。機械ではなく手作業で行われていました。

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■戦車の整備作業(広島市市民局文化スポーツ部文化振興課蔵)
 昭和13年(1938)以降

 写真は、当時の主力戦車である九七式中戦車チハのキャタピラを磨いている様子で、昭和13年(1938)以降のものです。作業しているのは、おそらく勤労奉仕か動員の女学生です。

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■搬送作業(広島市市民局文化スポーツ部文化振興課蔵)
 昭和10年代

 物資の運搬には構内に敷設された軽便軌道(トロッコ)が利用されました。写真は昭和10年代のもので、トロッコを押して砲弾を輸送する勤労奉仕か動員の学生の様子です。

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