■解説 〜つながる道路、変わる交通手段〜

 明治時代に近代的な産業が盛んになった後も、広島市内中心部には広島城の外堀や木橋などといった城下町の風景が残されていました。一方で堀は汚水の滞留による衛生上の問題を生じさせ、幅の狭い木橋は自動車などの新しい輸送手段が行き交う上で妨げとなるものでした。
 明治時代の終わりから大正時代にかけて、外堀が埋め立てられて道路や宅地化され、木橋が鉄やコンクリート製の橋に架け変わると、広島市内中心部を新たな交通手段である市内電車が走り始めました。交通手段の変革は広島のまちの姿を一変させ、文字どおり近代的なまちづくりを加速させていきました。

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