■解説 ~木造橋から永久橋へ~
明治時代に架けられた橋は多くが木造でした。こうした橋は幅が狭いため車両などの通行に適しておらず、また洪水のたびに流されるなど、交通の妨げになっていました。これらの橋は、その上を自動車や市内電車が行き交うことができるよう、鉄や鉄筋コンクリートなどでできた「永久橋」に次第に架け替えられていきました。
■本川橋 絵葉書(広島市公文書館蔵)
大正2年(1913)以降
市内電車が開通する前、現在の平和記念公園に当たる中島町は広島でも一番の繁華街でした。中島町と堺町を結ぶ本川橋は明治30年(1897)に最新式の鉄製のトラス橋※に架け替えられましたが、当時は広島の新たな名所として評判となったそうです。
※トラス橋:直線の素材を組み合わせてつくられた三角形(トラス)を組み合わせた構造の橋

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■現在の本川橋(中区中島町)
現在の橋は原子爆弾などの被害により崩落した後に再建されたものですが、橋脚部分は当時のものを残しています。

■本猿猴橋 絵葉書(広島市公文書館蔵)
大正15年(1926)頃
西国街道に架かる橋として古くから交通の要衝であり、大正15年(1926)に鉄筋コンクリート製の橋に架け替えられた際は、金属製の豪華な装飾や電飾燈が施されたモダンな橋となりました。

※転載禁止
■現在の猿猴橋(南区猿猴橋町)
猿猴橋に施された装飾は戦時下の金属供出によって撤去されてしまいましたが、橋自体は原子爆弾の爆風にも耐えて現存しました。平成28年(2016)に建造時の装飾を施された姿に復元されました。
