上ヶ原第34号古墳発掘調査日誌

 上ヶ原第34号古墳は、安佐北区可部町中野地区にあります。ここは北側の山から、可部の町並みが広がる
南側の平地部にかけて傾斜する谷あいの中腹で、標高は約130m。南にその平地部や太田川一帯を望む見晴
らしが開けています。この地域は可部古墳群と総称される、横穴式石室を持つものを中心とした古墳の密集地
帯として知られ、この古墳もそのうちの一つ。発掘調査によって、何を語りかけてくるのでしょうか?

前のページに戻る

2009年4月20日

090420-1
090420-2 上の写真は発掘前の古墳の様子。中央の石は、古墳の石室に使われていた石材と見られます。そのまわりの地形は丸く盛り上がっていて、墳丘も残存している様です。本格的に掘り始める前に、発掘作業を一緒にしていただく作業員さんたちとミーティングをしました。
いよいよ間もなく、発掘調査開始です!


2009年4月22日

090422-1 090422-2
古墳を中心に縦横十字のトレンチを掘って、その断面を調べることから発掘開始。この古墳の残り具合や、どこまで広がっているのかを、あらかじめチェックします。  トレンチの壁に、溝の断面の様な黒っぽい層がはっきりと現れました。丸く盛り上がったところのちょうど裾の下の辺りです。この黒っぽい層は、古墳の裾に溜まった土なのでしょうか?! 
090422-3 090422-4
トレンチから、さっそく須恵器のかけらも見つかりました。この古墳のものかまだ分かりませんが、気分は一気に古墳時代にタイムスリップ!
発掘現場の周囲は今、さわやかな新緑につつまれ、鳥の声が聞こえて来ます。日差しは次第に強くなってきました。この古墳が造られた頃も、こんなのどかなところだったのでしょうね。


2009年4月23日

090423-1 090423-2
トレンチでは、石室のものと見られる石もいくつか姿を現しました。石室は長い年月のうちに大分崩れていて、中には土が詰まっている様です。 トレンチ調査で古墳のおよその範囲を知る手掛かりが得られたので、 古墳を覆っている表面の土をはぐ作業に移りました。


2009年4月27日

090427-1
この古墳のある場所の付近から南への眺め。まわりを山々に取り囲まれた、小世界の様な光景が広がり、また、ここが、平地部からかなり離れた高地なのも実感できます。ここから南西へ約1.5qのところにある両延神社は、江戸時代に、この古墳よりもさらに昔の、弥生時代の銅剣が出土したところと伝えられ、この地域の歴史の古さを物語ります。古墳時代の人々は、どんな思いでここを墳墓の地として選んだのでしょうか…
090427-2 090427-3
4月22日の日誌で紹介した黒っぽい層を取り除いています。こんもりとした墳丘の盛り上がりが、よりはっきりとしてきました。 発掘作業は、土を掘るだけではありません。 もともと山の中だったので、こんな大きな木も生えていました。大変な作業の連続です。


2009年4月28日

090428-1 090428-2
黒っぽい層をきれいに取り除いたところ。右が山側、左が墳丘で、その間が溝の様に落ち込んでいる様子がよく分かります。 古墳の南半分の表面の土をはぐと、石がごろごろ現れ始めました。実は、墳丘の中から石積みの様なものが見つかることがあり、付近の古墳にも例があります。その正体は!?


2009年4月30日

090430-1 090430-2
発掘作業と並行して、トレンチの断面を図面として記録します。土の堆積の様子は、古墳の範囲や構造などを知るうえで大きな手がかりになります。 古墳の表面の土を除く作業もかなり進んできました。


2009年5月7日

090507-1 090507-2
写真中央の白っぽい層がお分かりいただけますか?右(東)へ行くほど厚く積もっています。ざらざらとした砂や小石からなる層で、大きな石も多く含んでいました。この層の下に見える黒っぽい層は、この古墳の裾の上に溜まった土です。実は、この白っぽい層は、古墳がつくられた後の時代に、古墳の東側の低いところに流れ込んできたものなのです。大きな土砂崩れの爪あとでしょうか?… 古墳の表面を覆っている土を除く作業が進む中で、石室の近くを中心に、須恵器が次々と出土しました。
090507-3 夕方近くに、この発掘が始まって以来初めて、まとまった雨が降りました。古墳にシートをかけて早めに終了です。


2009年5月8日

090508-1 090508-2
この古墳のすぐ西側の谷間から、北側の山を眺めた様子です。ここから数分も歩けば登り着く、写真中央の尾根の鞍部には、弥生時代のものと見られる、箱形石棺などからなる墳墓群が発見された番谷遺跡がありました。 前回の日誌で紹介した白っぽい層を、古墳の側から見た様子です。これを取り除くのは、予想外の大変な作業となりましたが、作業員の皆さんのがんばりで、古墳の東側の裾がようやく見えてきました。


2009年5月11日

090511-1 090511-2
「オオッ」という声が、作業員さんたちから上がりました。耳飾りと思われる金属製の環が出土したのです。古墳の東側の裾(右の写真で指さしたところ)から出土したため、この古墳のものかどうか分かりませんが、この発掘始まって以来の興奮の瞬間でした!


2009年5月13日

090513-1 090513-2
作業員さんたちが一緒になって、土を手渡しで運んでいます。こんな時は、いつもに増してにぎやかなおしゃべりが絶えません。共同作業ならではです。 古墳の東側の裾からは、鉄製品や多数の土器・須恵器片も出土しました。写真は錆びてもろくなった鉄製品を、慎重に掘り出している様子です。


2009年5月15日

090515-1
090515-2 古墳の表面を覆っていた土をすっかり取り除くと、長い間、山林の下に隠されていたこの古墳の全貌が、ついに現れました。上の写真は東から、左の写真は北からこの古墳を見た様子。半円球形の墳丘を持つ円墳の様です。その測量を終え、いよいよこれから、石室など内部構造の調査へ移ります!


2009年5月18日

090518-1 090518-2
(上)土日の間に溜まった雨水を全員で汲み出すことから、一週間が始まりました。
(右)古墳の真上のすっきりと晴れわたる朝の空を、一筋の飛行機雲が…過去と現在が交差するかの様です。
090518-3 (左)先週姿を現した、この古墳の墳丘の全体写真を撮るため、古墳の東側に撮影用の高い足場を組みました。
(下)その足場の上から見た古墳。下が横穴式石室の入り口側です。
090518-4
090518-5 (右)写真撮影を終了し、石室の発掘開始。石室の幅は狭く、人ひとりが作業できる程。その中に詰まった土を、慎重に掘り下げます。さあ、どんな発見が待っているのでしょうか?


2009年5月19日

090519-1 090519-2
この古墳の近くにある市史跡・青古墳群。6〜7世紀頃のものといわれる、横穴式石室を持つ古墳4基が残っています。この古墳の様に、急な斜面につくられています。中には、玄室(石室奥側の遺体を納める部分)の床に、石が敷かれたものもあります。 石室の発掘と同時に、墳丘のトレンチをさらに深く掘り下げています。石室や墳丘の構造を、もっとはっきりさせるためです。


2009年5月21日

090513-1 090521-2
石室の内部に詰まっていた土を、ふるいにかけています。どんな小さな遺物も見逃せません。何日かかっても、土とじっくりにらめっこです。実際、この作業で小さな鉄片などが見つかりました。 石室の中から須恵器が出土した様子。いよいよ石室の床に近づいた兆しでしょうか…?


2009年5月22日

090522-1 090522-2
石室の北側の壁際から、ほとんど壊れていない「はそう」と呼ばれる種類の須恵器が出土しました。 人と比べると、この古墳の石室はそれほど広くはありません。
ついに、石室の床が現れました!奥の方には石が敷かれています。また、須恵器(右の写真の赤丸の中です)などが出土しました。狭いながら、はるかな時間を感じさせる空間です…


2009年5月25日

090525-1 090525-2
えんえんと続くふるいの作業。「ああ、体を動かしたい!」とこぼしながらも、作業員さんたちは根気よく続けてくれました。 石室の中では、遺物が出土した状況などを、図面として記録しています。狭いので大変です!


2009年5月28日

090528-1 090528-2
石室が現れたので、航空写真撮影をしました。まわりの木々よりもはるか上空から、ラジコンヘリコプターで撮影です。 写真撮影用の足場の上から見た石室の様子です。


2009年6月5日

090605-1 090605-2
墳丘の中から、大きな石がたくさん出土しました。写真の様に、石垣の様に積まれたところもあります。墳丘の土が崩れるのを防ぐためのものとも考えられます。 石室の床を、さらに調査しています。石が落ちてくると大変なので、作業員さんたちはヘルメット着用です。


2009年6月9日

090609-1 090609-2
この古墳の東側(横穴式石室の入り口側)の裾一帯で、須恵器などが出土した様子。 この辺りからは、以前から須恵器などの遺物が多く出土しています。


2009年7月2日

090702-1 090702-2
ここ最近、梅雨の合間をぬって続く発掘調査。石室の内部構造や、墳丘の中にあった石もおおむね確認を終えました。間もなく石室の解体作業が始まります。


2009年7月9日

090709-1 090709-2
進む石室の解体作業。作業員さんたちが力を合わせ、重い石を慎重に取り外していきました。 解体と同時に、石材が積まれている様子を、図面にとって記録しています。


2009年7月22日

090722-1 090722-3
発掘現場の上で、うす曇りに透けて、日食が見えました。辺りは少し暗くなりました。 この古墳の石室も、残すところ最下段の石のみとなりました。


2009年7月24日

090722-2
とうとう石室の石材をすっかり取り除きました。この石室は、奥側の山の斜面を掘り込んで、平らな面をつくり出して構築されていました。右の写真は、その掘り込みの跡を発掘中の様子です。梅雨が長引いた影響もあって、約3ヶ月におよんだこの古墳の現地発掘調査も、完了目前です。


2009年7月31日

古墳の発掘調査を終えても、そのさらに地下には、もっと古い時期の遺構が眠っている可能性があります。そうした遺構を求めて、この発掘調査は次の段階へ突入です!


2009年8月7日

新たに、平坦をつくり出した跡(左の写真の赤い矢印の先の辺り)が確認されました。上の写真は、その左側の遺構から土器が出土した様子です。土器の特徴から、弥生時代のものと考えられます。


2009年8月17日

090817 この発掘調査も大詰めを迎える頃になって、ようやく夏らしい強烈な日差しの日々が続くようになりました。セミの鳴き声に包まれて、身体全体から汗を噴き出しながらの発掘です。


2009年8月18日

090818-1
090818-2  弥生時代のものと考えられる遺構の全容(上の写真の赤字のもの)。平坦面や穴、掘り込みの壁に沿った溝などを確認しました。住居跡と考えられますが、古墳築造の際に掘り崩されたり、傾斜地のため自然に崩れたと考えられる部分があります。
 左の写真は、足場を組んでの最後の写真撮影の様子です。
 この遺跡は、弥生時代から古墳時代にかけて、この地に人々が刻んだ歴史の一端を、伝えてくれたのです。
090818-3 8月20日、後片付けを終え、この発掘調査も終了を迎えました。最後に、作業員さんたちと記念撮影。皆さん、本当にありがとうございました! 

              (完)