学芸員が普段の仕事の中で感じたことや、日々のこぼれ話、お気に入りの展示物などを紹介します。

広島の歴史と文化財の魅力を発信してみませんか?

2012.1.31

「ハニワ作り」の指導 文化財課と、同じ財団に所属する広島城、郷土資料館の3施設では、広島の歴史や文化財をテーマにした様々な事業を実施しています。そして、そこでは、たくさんのボランティアが活躍しています。
 「ひろしま歴史探検隊」の名称で活動しているこのボランティアグループの特徴は、3施設が実施する事業や研修の中から、自分が希望する内容を選択して活動できることです。
 3つの施設は同じ歴史を扱っているとはいえ、専門とする時代や内容が異なりますチラシへ。例えば、文化財課は広島市内の遺跡の発掘調査で見つかった考古資料の紹介や、土器やハニワ、勾玉など古代のものづくり、火起こしや弓矢といった古代生活体験などのメニューを用意して、学校や公民館など、様々なところへ出かけて授業を行っています。他の2施設もそれぞれの特徴を活かした事業を館内外で実施しています。 これらの事業の準備や指導を、職員とともに行っているのがボランティア「ひろしま歴史探検隊」です。
 このたび、活動内容や施設についてより詳しく知っていただくために、説明会を開催します。
  ボランティア活動に興味のある方、歴史が好きな方、ものづくりや人との触れ合いが好きな方など…、ぜひお気軽にご参加ください!

文化財課学芸員 田原みちる/写真:「ハニワ作り」の指導
                           ※詳細はチラシをご覧ください。

広島学セミナー「史跡 原爆ドーム」

2012.1.12

原爆ドーム 原爆ドームといえば、被爆の実相を伝えるものとして様々な面から語られてきています。ただ、建築面から語られることは少ないのではないでしょうか。建築物としての原爆ドームをテーマに講座を実施しようというのが、広島学セミナー「史跡 原爆ドーム」(全3回)です。現在参加者を募集中で、残念ながら2回目・3回目は定員一杯になっているのですが、1月21日(土)の1回目だけは会場が広いこともあり、まだご参加いただけます。(1月12日時点)
 1回目は、建築史・意匠学を研究分野とされている広島大学大学院の杉本俊多教授をお迎えし、「広島県産業奨励館の建築意匠について」というテーマで講座を開催チラシへします。杉本先生は、建築という技術を通して広島で平和を考えたい、被爆後の死の風景を理解するには、生きた風景がどのようなものであったかを知るべきだというお考えのもと、広島県産業奨励館の研究を深めておられます。「ヒロシマ」を考える上でも意義深いお話しが聞けると思いますので、参加してみようと思われた方は、平日8時30分~17時までの間にお電話(082-568-6511)でお申込み下さい。

文化財課学芸員 田村規充/写真:原爆ドーム
                      下のチラシをクリックしてください。

伝承のかたち

2012.1.11

講演「異界・妖怪と日本人」 昨年12月10日(土)に、妖怪研究の第一人者である、国際日本文化研究センター教授の小松和彦先生をお招きして、講演会『異界・妖怪と日本人』を開催しました。日本では不安や恐怖、日常を超える出来事などの背景や説明として古くから妖怪が想起され、中世以降は絵巻物などに形あるものとして描かれ、現代に至るまで非常に豊かな大衆文化としてさまざまなかたちで伝承されているという興味深いお話を伺いました。
 講演会の中ではいろいろな妖怪が紹介されたのですが、その中に古い器物が異形に変化した「付喪神(つくもがみ)」という妖怪がありました。文化財課では発掘調講師の小松和彦先生査でみつかったたくさんの考古資料を収蔵保管していますが、資料の大半は、「付喪神(つくもがみ)」の九十九(つくも)どころではない年月を超えて日の目をみたものです。長い間土の中に埋まっていたので、コンディションのよい資料ばかりではありません。温度や湿度を管理して紫外線や酸素を絶つなどいろいろな養生が必要な資料もたくさんあります。保存の側面だけから考えると、門外不出の資料として環境の整った収蔵庫に納めておくのがよいのかもしれませんが、それでは資料が死蔵になってしまい、「付喪神(つくもがみ)」が夜行するやもしれません。
 埋蔵文化財が皆様の宝物であることを実感していただけるよう、展示などの資料活用の機会を積極的に作っていくことも私たちの仕事です。未来の人々へ伝えるために、資料の保存と活用のバランスをいかにとっていくか・・・私たちの大きな課題です。

文化財課学芸員 荒川美緒/写真:講演会「異界・妖怪と日本人」/講師の小松和彦先生

謎の遺物の正体は?

2011.12.2

陶器と瓦から作られたもの 広島城跡法務総合庁舎地点の武家屋敷跡地で多数見つかっている写真の様な遺物。それは瓦や陶磁器を打ち欠いたり、研磨したりして円板状に整形したもので、大きさは手の平に収まる位です。その用途についてははっきりと分かっていません。砥石の様にものを磨くためのものとか、遊具、呪具などとも想定されています(私は最初にこれを見たとき文鎮代わりかと思いました)。「陶器の転用品」「瓦の転用品」などと呼んでいますが、同様の遺物を「円板状製品」「加工円盤」などと呼ぶ報告書の例もあり、名称もまちまちです。
 数は多いものの、余りにもシンプル過ぎる印象のこの遺物。何となく気になっては磁器製のものいたのですが、江戸時代中期の著名な広島藩の学者、香川南浜(1734~1792)が天明年間(1781~1788)の初め頃に書いたと推測されている「秋長夜話(あきのながよばなし)」(『広島県史 近世資料編Ⅵ』所収)という随筆をたまたま読んでいて、私は「あっ」と注目しました。当時の子供たちの遊戯について記した一節に「…広島の小児の戯にいちきりといふ事あり、瓦石を抛(ナケ)て志(メアテ)に近きを嬴(カチ)とす…」とあったからです。 現代風に言い直すと、「広島の子供達の遊びにいちきりというものがある。瓦石を的の最も近くに投げたものが勝ちとなる」といったところでしょうか。もしや、この遺物の正体は「いちきり」のアイテムだった「瓦石」の類なのでは…。
 もちろん「もしかすると」です。ただ、そんな目で改めてその小さな遺物を手にすると、手近なもので遊具をこしらえ、夢中で遊んでいた子供達の表情や歓声、そして同時に、そんな子供達に向けた高名な学者の愛情を交えた眼差しが想起されます。
 色んな思いを宿してめぐる遺物。皆さんには、これが何に見えますか?

文化財課学芸員 松田雅之/写真:左上は陶器のもの、他は瓦のものです。/磁器のものです。

臼と杵で…餅つきではありません

2011.10.28

バケツで実った紫黒苑の穂 今年度はバケツや水田で古代米を育てる事業を行い,無事に収穫を迎えることができました。中でも水田は豊作で,大量の古代米が収穫できました(収穫の様子へ)。稲刈りは弥生時代のように石庖丁を使って稲の穂を摘み取る方法をでおこないました。
さて,収穫したは良いですが,米は脱穀してモミを外す(もみすり)必要があります。この作業,弥生時代はどのようにしていたのでしょうか。当時はこうした作業を木の臼と竪杵(たてぎね)で行っていたようです。乾燥させた稲穂をそのまま臼にいれ,竪杵でトントンついてゆくと,脱穀ともみすり,そして精米までできてしまいます。そのままでは外れたモミと米が混ざっているので,テミというザルのような道具にいれて,中身を空中に放り上げて受け止めるのを繰り返して,軽いモミだけを風で飛ばします。手間とコツがいるこの方法は中世まで行われていたようで,室町時代の絵巻物などにその様子が描かれています。絵に描いてある臼の中の米には色が付いているのも・・・これって赤米?

文化財課学芸員 桾木敬太/写真:復元した臼と竪杵で脱穀中

稲が実りました!~古代米のバケツ稲栽培~

2011.10.20

バケツで実った紫黒苑の穂 文化財課で春から取り組んできた古代米のバケツ稲栽培も、いよいよ収穫の時期を迎えました。種籾を水につけて芽出しをしたのが4月の初めのこと。それからおよそ半年かけて、無事実りの時を迎えました。
 実った穂を観察すると、古代米(紫黒苑)の特徴どおり、籾殻が黒っぽく色づき、籾の先には麦のような長いひげ(ノギ)があります。また、籾殻の中には黒い果皮に覆われたお米が入っており、白米との違いがはっきりとわかります。この黒い色素には、健康によいアントシアニンが含まれているため、完全に精米しないで食べる方が栄養価も高く、色もきれいです。古代米の食べ方は、白米に少し混ぜて炊くのが一穂のアップと玄米般的です。紫黒苑の場合、紫に色づいた白米の中にプチプチとした食感の古代米が混ざり、見た目も食感も楽しめます。
 バケツ栽培のため収量はわずかですが、この半年を振り返りながら、一粒一粒大切にいただこうと思います。




文化財課学芸員 田原みちる/写真:バケツで実った紫黒苑の穂/穂のアップと玄米

ひろしまWEB博物館のツボ

2011.9.28

遺跡台帳一覧 ひろしまWEB博物館に、ご来館いただきましてありがとうございます。今回はここまで来ていただいた方に当博物館のおすすめスポットをご紹介します。
 収蔵庫に行かれたことのある方は「倭国」というひろしまで発掘調査が行われた遺跡のデータベースをご覧になったと思います。遺跡の名前や発掘調査報告書などに馴染みのない方には、少しとっつきにくいかもしれません。「倭国」に親しむとっかかりとして、おすすめするのが航空写真です。すべての遺跡ではありませんが、発掘調査をする前と調査後には航空写真を撮影しています。この航空写真は遺跡を中心に撮影するので、よく目にするような広島市の航空写真などと異なり、低い高度で撮番谷遺跡航空写真影されており、普段は見られない視点からひろしまの町や山を撮影しています。また遺跡やその周辺がどんな地形なのかもわかりやすく見せてくれます。
 航空写真を見るためには、色々なルートがありますが、馴染みのある場所の遺跡から探す方が面白いでしょう。「倭国」を開いたら「遺跡台帳」をクリックして、ページリンクも使いながら、所在地を見て遺跡を選んでください。遺跡が決まったら、欄の右端「表示」の項目で「画像」ボタンをクリックしてください。後は航空写真を探していきます。「画像名称」の列名で「航空写真」を検索すると選べることもありますが、必ずしも画像名称に「航空写真」が使用されていない場合もありますのでご注意を。

文化財課学芸員 田村規充/写真:遺跡台帳一覧からここをクリック/番谷遺跡(安佐北区可部町)航空写真-可部の町で太田川が回り込み広島湾へ向かう様子がよくわかります。

「広島の文化財講座」歴史探訪フィールドワーク・講演会

2011.9.2

二塚古墳 著名な研究者から歴史や文化財について学ぶ「広島の文化財講座」。今年度の第三弾は、10月8日(土)に実施される、「古瀬教授と行く歴史探訪フィールドワーク~備後南部の巨石古墳めぐり」です。
 今回は、福山市内に残っている代表的な後期古墳を、広島大学大学院教授の古瀬清秀先生とめぐります。
 古瀬先生のフィールドワークは、最先端の研究成果を分かりやすく紹介してくださるということで、毎回大変な人気です。参加ご希望方は、参加申し込み受付中ですので、是非ご応募ください。(往復はがきでお申し込みください。9月11日(日)必着です。詳細は、イベント情報掲示板をご覧ください。)
 なお、「ひろしまの文化財講座」第四弾として、12月10日(土)には「講演会『異界・妖怪と日本人』」を予定しています。「異界」と「妖怪」を生んだ日本人の精神性を探り、「異界」と「妖怪」が日本文化の中で果たした役割について学びます。どうぞ、こちらもよろしくお願いします。

文化財課学芸員 荒川美緒/写真:二塚古墳(ふたづかこふん) 横穴式石室の玄室部分の大石が完全に露出した状態で残っています。奥壁での天井石までの高さは3mを超えています。

夏休み工作教室

2011.8.31

勾玉作り教室 文化財課の事業の一つに出張授業があります。7月中旬~8月下旬の夏休み期間中は、公民館や区民文化センター等で開催される小学生向けの「夏休み工作教室」の講師として出かけました。子ども達にとっては、ここで作った作品が夏休みの工作の宿題になるので、募集したらすぐに一杯になるそうです。今年の依頼は「勾玉作り」「はにわ作り」「縄文ペンダント作り」が多かったです。
 公民館での工作教室では1年~6年生までが同じ物を作るので、説明の仕方や作業時間の取り方に気をつかいます。低学年の子を途中で飽きさせず、時間内に作品を完成させるのはなかなか難しいです。そんな時、ボランティアの皆さんや付き添いはにわ作り教室の保護者の方にも協力していただけるので、大変助かっています。また、教室では作り方の指導以外にも、近くにある遺跡を紹介したり、そこから出土した土器等の遺物を子ども達に触ってもらったりして、地域の歴史に興味を持ってもらえるように心がけています。実際、遺物の写真を撮ったりしている子もいて、持って来て良かったなと思いました。
 この夏、様々な教室で色々な作品に出会いました。来年の夏もまた面白い作品に出会えるのを楽しみにしています。

文化財課指導主事 平岡啓二/写真:勾玉作りの様子/はにわ作りの様子

神さびし木々

2011.7.31

帝釈始終のコナラ 地域の人々に親しまれる巨木。時に見かける巨木の多くは、神社などの神木として守られてきたものです。
 古来、人々は樹木に神を感じた様です。『万葉集』を紐解けば“神樹(かむき)”という言葉や、“神さびる(古びて神々しいといった意味)”木などが現れます。また、「社」を“モリ”と読ませた例もあり、森そのものが信仰の対象となっていたことを表していると考えられています。
 しかし、『万葉集』には都造営のため伐採された木が、筏となって川を流される様子を詠んだ歌もあります。社会や文化の発展とともに高まる森林資源の需要は、時に神木をも犠牲にしました。豊臣秀吉といった時の権力者しかり、近代には、伐採を巡って氏子の間で裁判にまで発展した事件などもあります。神木伐採は人と自然のせめぎ合いの象徴です。
 こうした変遷をたどると、今日神社などにポツンと残された神木と、古代人が崇めていた荘厳な“モリ”との間には、人々のそれに対する意識もやはり変化があったのではないでしょうか?
 しかし、森や樹木への畏敬の念は確かに引き継がれてきました。例えば、安芸地方の近世の記録などに「一夜の森」「湯名の森」「鳥喰森」など、神社の伝承にまつわる森の名がいくつか見られ、興味をひきます。また、地域の中でひっそりと守られ続けてきた神木があります。安佐北区可部町上原のカヤ(広島市天然記念物)や、庄原市帝釈始終のコナラ(広島県天然記念物)などです。樹齢数百年に及ぶその偉観を目にすると、歴史の片隅で幾世代にわたり貫かれてきた樹木に対する信仰の息の長さに圧倒されるとともに、遠い時の彼方の人々の魂に触れ合えた様な気がします。
 皆さんも機会があれば神木の前で足を停めて見て下さい。きっとゆっくり語り始めます。

文化財課学芸員 松田雅之/写真:帝釈始終のコナラ

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