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■草津城「都志見往来諸勝図」
江戸時代 広島市立中央図書館

 草津城は、広島湾頭における水運の拠点として重要な位置をしめ、幾度か争奪戦が繰り広げられています。厳島合戦の前哨戦で草津城を得た毛利元就は、城番に川内警固衆(かわうちけごしゅう)を率いる児玉就方(こだまなりかた)を置き、合戦時には毛利方の水軍拠点として使用しました。
 この図は、寛政9年(1797)に広島藩士岡岷山(おかみんざん)が山県郡都志見(現 山県郡北広島町)に写生旅行に出かけた際の記録で、その道中に草津城が描かれています。草津城は海に面した丘陵上にあり、谷によって分断された四つの郭群からなっていました。

保存・転載禁止 草津城「都志見往来諸勝図」

写真提供:広島城 ※転載禁止

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