第1コーナー
三谷遺跡~瀬野川流域を代表する弥生時代の集落跡

三谷遺跡            広島市安芸区中野東三丁目・中野東町所在
 三谷遺跡は、広島市の南東部を、広島湾の東北岸に向けて西流する瀬野川沿いにあります。そこは、北にこの瀬野川を見下ろす標高約90mの日当りのよい高台で、西へ急傾斜で下る険しい山地がややなだらかになった場所です。
 この遺跡で最初に本格的な発掘調査が行われたのは、平成13~15年にかけてです。その結果、瀬野川流域では初めて規模の大きな弥生時代の集落跡を確認し、この地域の拠点的な集落だったと考えられました。
 昨年度の調査は第2回目のもので、前回の調査で確認された集落跡が、さらに北側へと続いていたことが判明しました。
 出土した土器の年代から、この遺跡は弥生時代中期の終わりから古墳時代初期にかけてのもので、高所に営まれ、古墳時代初期に姿を消すといった、これまでに広島市内で調査された当時の集落跡におおむね共通する傾向を備えた遺跡といえます。


三谷遺跡の位置図(赤丸のところ)
三谷遺跡周辺の遺跡情報はこちら



第二次調査前の三谷遺跡(西から)



第二次調査後の三谷遺跡(真上から)



三谷遺跡から瀬野川方面を望む(南から)


1 遺構

確認した遺構
 三谷遺跡のある場所は、すぐ東側に尾根の急斜面が迫っています。こうした地形から、長い年月の間に遺跡の上には山から流れ込んだ土砂や岩石が、最大約2mも堆積しており、この堆積層の上はだんだん畑となっていました。弥生時代の遺構は、調査範囲の東側と、第一次調査区に隣接する南側を中心に確認しました。標高の下がる西側は、長い歳月の間に崩れてしまった様です。
 確認した弥生時代の遺構は竪穴住居跡7軒、テラス状遺構3ヶ所、土坑3基です。第一次調査では竪穴住居跡だけでも24軒分を確認しており、長期間にわたって連綿とこの高台で営まれた、当時の暮らしを偲ばせます。

 
 地中深く埋もれた三谷遺跡
 最大約2mに及ぶ厚く堆積した土砂の下に、遺跡は眠っていました。

  重なり合う遺構(調査区北半の様子 西から)
 竪穴住居跡、テラス状遺構などが、それぞれ築かれた時期をずらしつつ、重なり合って営まれていました。 
 
 竪穴住居跡から遺物が出土した様子(北から)
 竪穴住居跡SH30の床から、土器や石がまとまって出土した様子です。ここは調査範囲の最北端で、現在の地形では、急傾斜面ぎりぎりのところでした。

  大型の建物の跡か?(北から)
 竪穴住居跡SH25は、長さが南北に約9mもあります。西側が崩れてはっきりしませんが、かなり大きな建物の跡である可能性もあります。三谷遺跡では、第一次調査でも直径約10mもの竪穴住居跡が確認されており、集会所や作業場として使用されていたと想定されます。
 
     
 
三谷遺跡初の青銅器出土(北から)
 今回の調査で、第一次調査と今回の調査を通じ、三谷遺跡で初めて青銅器が出土しました。この銅鏃は、出土した位置から、SH25に伴う可能性もあります。こうした青銅器はお祭りなどに使用された祭器とも考えられ、SH25がそうした特別な場となっていた可能性を想定させます。
  第一次調査で確認した大型竪穴住居跡(西から)
 直径約10mもあり、市内でも異例の大きさです。ここからは、多量の鉄器などが出土しました。

     
 
テラス状遺構から遺物が出土した様子(西から)
 テラス状遺構SX17から、土器が出土した様子です。ここには柱穴もいくつか見られることから、屋根付きの作業場だったことも想定されます。
  土坑から貝殻が出土した様子(北西から)
 土坑SK15からは、多数の石とともに、少量ながら牡蠣殻が出土しました(写真の白丸の中)。おそらく瀬野川を下った広島湾辺りから、やや内陸部のこの地まで運んできたものでしょう。牡蠣殻は第一次発掘調査でも出土しており、当時の食生活の一端をうかがわせます。


2 遺物

出土した遺物
 今回の発掘調査では、弥生時代後期のものを中心とした土器が出土した他、少数の鉄器、青銅器、石器が出土しました。また、調査範囲から出土した土器には弥生時代中期の終わり頃のものと古墳時代初期のものが見られ、この遺跡が営まれた期間を推測させます。




 
   


SH25から出土した壺形土器
 弥生時代後期
     SH30から出土した甕形土器
    弥生時代後期
  SH30から出土した壺形土器
 弥生時代後期
         
     
今回出土した最古の土器(甕形土器)
 弥生時代中期後葉
 調査範囲から出土しました。口縁部が強く「く」の字に外へ反るなどの特徴から、弥生時代中期の終わり頃のものと考えられます。今回の調査で出土した最古の土器です
  今回出土した最も新しい土器(壺形土器)
 古墳時代初期
 調査範囲から出土しました。プロポーションと全体に薄いつくりなどの特徴から、古墳時代初期のものと考えられます。今回の調査で出土した最も新しい時期の土器です。
 
   
         
 

   
青銅器(銅鏃)
 
第一次、第二次調査を通じ三谷遺跡で初めて出土した青銅器です。刃がかなり失われています。青錆に覆われていますが、本来は金色に近い輝きをもっていました。青銅製の武器は、お祭りの道具としても用いられたとされます。
  石斧
 調査範囲から出土しました。刃や基部がかなり欠けています。
 


   

三谷遺跡第2次調査の発掘調査報告書はこちら
三谷遺跡第2次調査の発掘調査日誌はこちら



第2コーナー「琴平遺跡~弥生時代の集団墓地」へ

第3コーナー「上ヶ原第34号古墳~可部古墳群の実像の一端に迫る」へ

第4コーナー「別所古墳~阿武山中腹に築かれた横穴式石室墳」へ

▲このページのトップへ