()(さい)事項>

 

 戦争前、誓願寺慶蔵院(けいぞういん)()(ども)たちの遊び場でした。()()れて仁王門が閉まるまで存分に遊びました。

門前の屋台(今のお好み焼き)境内(けいだい)の茶店には()()()・夏の氷・冬の焼芋(やきいも)、選ぶに迷った子供の(ころ)(よみがえ)ります。

 戦中は一時兵隊(へいたい)の宿舎となったことがあります。被爆後、我が家は焼けた(かわら)のみ。慶蔵院の防空壕(ぼうくうごう)の中は、(から)で石の()(ぞう)さんの首が折れ散乱。放心状態で()()か誓願寺の太鼓(たいこ)橋に立ちました。フイに戦前の頃の光景(こうけい)が浮かび、消えました。(せい)(じゃく)な死の世界。生きているのは自分だけなのか、胸が張り()けそうでした。


平成
179

()(ばく)前の材木(ざいもく)(ちょう)・誓願寺


「市民が描いた原爆の絵」

 作:西村八千代/所蔵:広島平和記念資料館

誓願寺の(かめ)


「市民が描いた原爆の絵」  

 作:高原良雄/所蔵:広島平和記念資料館

誓願寺の思い出


「市民が描いた原爆の絵」

 作:西村八千代/所蔵:広島平和記念資料館





































































































































 
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