県史跡 比治山貝塚(ひじやまかいづか) |
![]() 発掘風景(昭和36年当時) |
比治山南麓に貝塚が存在することは、大正時代から知られていましたが、実際に多数の遺物が出土したのは、昭和7年の軍用工事中のことでした。戦後になって行われた本格的な発堀調査によっていろいろなことがわかりました。 貝塚は三つの貝層と、その下の土器などを含む層から成り立っていました。最下層の出土品が最も古いもので、そこから出てきた縄文土器には、縄目や渦巻の文様を施したり、口に刻み目をつけたものが多く、縄文時代後期に作られたものと考えられます。これに対し、上部の貝層から出土した土器は、文様がなく、器の内外ともによく磨かれて光沢を放つ縄文時代晩期のものです。つまりこの貝塚は、縄文時代後期から晩期にかけてできたのでしょう。 |
||||||
|
「広島市の文化財」広島市教育委員会編より。 |
公益財団法人広島市文化財団文化科学部文化財課 tel/082-208-4151 fax/082-208-4153
Copyright(C)2005 Hiroshima
City Culture Foundation. All rights reserved.
|