県史跡 畳谷弥生遺跡群(たたみだにやよいいせきぐん) |
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この遺跡は、ひとつの丘陵尾根上に並んで営まれていた三つの集落の跡で、弥生土器、土師器(はじき)、鉄器、土製の勾玉(まがたま)などが出土することから、弥生時代中頃から古墳時代初め頃のものと推定されています。 竪穴住居の跡は、直径4〜5m程度の大きさで、4本または6本の柱を用いたものが多く見つかりました。なかには、床一面に炭化した木材が散乱していた住居跡があり、これは火災にあったもののようです。これらの住居の中や周りには、食料を貯蔵するための円形の穴がいくつも作られていました。ただし、ひとつだけ小さな長方形のものがあり、幼児を埋葬するために用いられたと考えられています。この時代の埋葬は、一般的に集落を離れた共同墓地に行われていましたが、幼児に限って集落の中に埋葬する例は他にも見られ、特別な配慮がされていたのでしょう。 この遺跡はかなり高い所にありますが、これは低地に稲作を行う水田を確保するため、住居を高い所に建てたものだろうと考えられています。 |
「広島市の文化財」広島市教育委員会編より。 |
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