用語集_1、2
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語句
内容
高床式建物
(たかゆかしきたてもの)
倉庫の機能をもったとも考えられる、床面を地上から高いところにつくった建物
竪穴式石室
(たてあなしきせきしつ)
墳時代の初めの頃の、お棺を収めた部分をよびます。穴を掘り粘土で床を作り、遺体(いたい)を収めた木棺をすえ、周りに石を積み上げたあと天井を覆いました。
竪穴住居
(たてあなじゅうきょ)
に縄文時代から古代にかけて人々が住んだと考えられている家です。地面を数十センチほどほりくぼめて、その平らな部分を床にし、屋根をかけたと考えられています。

歴史の扉2号で、より詳しく知ることができます。
竪堀(たてぼり) の斜面に沿ってたてにみぞを入れます。そうすることで、敵の横の移動をむずかしくします。
歴史の扉9号で、より詳しく知ることができます。
テラス状遺構 面を平らに削った平坦面のことを呼びます。作業スペースのような役割をはたしたと考えられています。
天守閣(てんしゅかく) 垣を積み上げ、城下を見下ろすことができるようにもなっていますが、城のシンボルとしての役割が大きいです。お城というとこの天守閣を思いえがく人は多いですが、天守閣は城の実用的な機能はあまりもっていません。
歴史の扉5号で、より詳しく知ることができます。
土こう墓 体を埋葬するために地中に掘ったあなです。木のお棺をおさめた跡があるものもあります。
土錘(どすい) をとる網につけるおもりです。土で作ったものをこう呼びます。
歴史の扉3号で、より詳しく知ることができます。
土器棺墓
(どきかんぼ)
などの土器を利用したお墓です。赤ちゃんや子供用といわれます。広島市内でも多くの土器棺墓が出土しています
箱式石棺
(はこしきせっかん)
体を埋葬するために作ったお棺です。平らな石を箱型に組み合わせたもので、弥生時代から見ることができます
土師質土器
(はじしつどき)
生時代の流れをくんだ、古墳時代以降の赤茶色の素焼きの土器です。
埴輪(はにわ) 墳にならべられた焼き物です。広島市内でも安佐南区池の内(いけのうち)第2号古墳や安芸区狐が城(きつねがじょう)古墳などから埴輪が出土しています。
歴史の扉8号で、より詳しく知ることができます。
葺石(ふきいし) 墳を作るときに盛り土の上に葺(ふ)く石をいいます。
副葬品(ふくそうひん) んだ人とともに埋葬する品々のことです。玉や武器・かがみなどがあります。
武家屋敷跡
(ぶけやしきあと)
歴史の扉5号で、より詳しく知ることができます。
紡錘車(ぼうすいしゃ) をつむぐのに使う道具です。機織(はたおり)の技術とともに入ってきたと考えられています。
掘立柱建物
(ほったてばしらたてもの)
に柱をさして立てた建物です。ただしどのような建物だったかははっきりとはわかっていません。
堀切(ほりきり) 城で敵が簡単に攻められないように、山道を削ったりして堀を切って作った部分をそう呼びます。
歴史の扉9号で、より詳しく知ることができます。
磨製石器
(ませいせっき)
石器を作るときに表面をみがき、ピカピカにしたものです。
櫓(やぐら) などで外敵の監視をはじめ、防戦に備える建物です。
歴史の扉5号で、より詳しく知ることができます。
やりがんな でできた工具の1つで木をけずる道具です。
横穴式石室
(よこあなしきせきしつ)
穴式石室にかわり、大陸から伝わってきた新しい埋葬(まいそう)方法で、遺体をおく部屋と外部からその部屋までの通路でできています。今から1500年ぐらい前に急速に広まり、広島でも造られるようになりました。1人を埋葬した竪穴式石室と違い、横穴式石室は何人も埋葬しており、古墳が家族のための墓になっていった時期と考えられています。
緑釉(りょくゆう) 色の鉛釉がかけられたものです。
割竹形木棺
(わりたけがたもっかん)
をくりぬいてつくられたお棺です。竹を割ったような形をしていることからこのように呼ばれます。


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