広島城跡及び陸軍関連遺跡サッカースタジアム地点(ひろしまじょうあとおよびりくぐんかんれんいせきさっかーすたじあむちてん)
前のページにもどる_▲
▲発掘中の遺跡。右に見えるのは広島城
▲近世の陶磁器
なまえ
広島城跡及び陸軍関連遺跡サッカースタジアム地点(ひろしまじょうあとおよびりくぐんかんれんいせきさっかーすたじあむちてん)
時代は?
江戸時代〜昭和時代(今から約400〜50年前)
どんな遺跡?
武家屋敷跡、陸軍施設跡、応急簡易住宅跡
この場所は、広島城の外郭(三重目の
郭
)の西側にあたります。江戸時代には主に中級武士の屋敷地でした。明治時代以後は陸軍施設が次々と設けられたのですが、昭和20年(1945)8月6日、原爆投下によって壊滅的な被害を受けました。戦後は応急簡易住宅が建てられ、昭和55年(1980)中央公園芝生広場として整備されました。
近世から戦後の応急簡易住宅に至るまで、広島市中心部における土地利用の歴史的な流れを確認しました。
主な遺構
建物跡、コンクリート・モルタル構造物、広場、道路、門、石列、溝状遺構、柵列、礎石、池、井戸、土坑、柱穴、遺物集積、自然流路
主な遺物
陶磁器、土師質・瓦質土器、ガラス製品、瓦、煉瓦、タイル、土管、土人形、石製品、銭貨、金属製品、蹄鉄、木製品
【場所】
この遺跡について質問したい人はこちらへ
この遺跡について詳しく知りたい人はこちらへ
(
前のページにもどる
)(
広島市全域へ戻る
)(
文化財課ホームページへ
)
公益財団法人広島市文化財団文化科学部文化財課 tel/082-208-4151 fax/082-208-4153
Copyright(C)2005 Hiroshima City Culture Foundation. All rights reserved.