西国街道T(海田から船越まで)
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No.
名称
種類
所在地
内容
7 二日市 地名 日下(くさか)橋の南側にある蟹原上水場の南側 毎年3月2日に貝類取引の市がたっていたことに由来する。
8 鉄砲うち 伝説 海田町 小迫にある松の木にまつわる話で、子供の復讐に大名を狙撃した話。
9 道に面して斜めに
構えた町屋造り
町並み 海田市頭など 大名行列が通るとき、土下座の時間が少なくてすむように作られたという。
10 海田市の町並み
(寛永年間)
町並み 海田町上市〜中店 寛永14年(1637)に海田村が実施した地詰めの結果である。
12 熊野神社 寺社・祠堂 海田町上市 古来社名を「新宮」といい氏神として地元有力者の寄進により整備された。
13 御茶屋跡 旧宅 海田町上市 寛永10年(1633)に幕府巡見使のために作られ、以後海田市の本陣に転化。
14 海田市の脇本陣 その他 海田町中店 海田市では猫尾新太郎の家が指定された。
15 千葉家屋敷 旧宅 海田町中店 本陣や脇本陣として建築されたわけではないが脇本陣的役割を果たしていた。
16 飛脚と若者 伝説 海田町 浅野家の飛脚と若者が正面衝突し、「喧嘩両成敗」ということで重い罪をうける話。
17 道に面して斜めに
構えた町屋造り
町並み 海田市頭など 大名行列が通るとき、土下座の時間が少なくてすむように作られたという。
18 三宅本家 旧宅 海田町稲荷町 江戸時代の大農家のおもかげがよく残されている。
19 海田一里塚跡 一里塚 海田町稲荷町 寛永10年(1633)の幕府巡検使の際に設置され、首幅は二間半(約4.5m)である。
20 道に面して斜めに
構えた町屋造り
町並み 海田市頭など 大名行列が通るとき、土下座の時間が少なくてすむように作られたという。
21 花都 地名 安芸区船越六丁目 日浦山南端から海に突き出ていたところに由来する(「ハナ」は端・岬、「ト」は場所・狭いところの意)
22 阿曽沼家 商家 海田町上市 旧西国街道に面し、古くから雑貨と塩の販売を行っていた商家。
23 竹浦の鬼面 伝説 安芸区船越六丁目 毎年10月に行われる秋祭に使われる赤と青の鬼面の話。
24 道塚 道標 安芸区船越六丁目 竹浦の大歳神社の前にあり明治の初めにつくられた。

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