西国街道T(海田から船越まで)
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No.
名称
種類
所在地
内容
25 船越町の街道松
(その1)
並木 安芸区船越五丁目 40年くらい前までは安芸区中央児童公園前に5本くらいの街道松があった。
26 代官所跡 行政施設 安芸区船越四丁目 小学校から電機高校女子部、さらには区役所へと転化された。
27 引地 地名 安芸区船越五丁目 「潮が引く地」であるとも付近一帯が漁師の網引場であったともいわれている。
28 木船 地名 安芸区船越四丁目 古くは「着船」とも書かれ菅原道真が西遷のとき船が着けられたという。
29 カギ型の道路 町並み 安芸区船越四丁目 大名行列が通るとき、土下座の時間が少なくてすむように作られたという。
30 松石鼻 地名 安芸区船越四丁目 下古屋山の南側をさし、潮干潟になったとき松石(鼻)から通れた道に由来する。
31 市場坂 その他 安芸区船越四丁目 城山(市場城山)と下古屋山との間の峠道のこと。
32 岩滝神社 寺社・祠堂 安芸区船越四丁目 貞享2年(1685)に村内花都の八幡宮、畔地(くろじ)の新宮、西の祇園社を合祀したもの。
33 八幡さんの常夜燈 その他 安芸区船越四丁目 岩滝神社の常夜燈である。
34 鼓橋 安芸区船越二丁目 畑賀・海田・中野方面に住む人が広島に出るときには役立ったといわれるが、今は見えない。
35 荷場 地名 安芸区船越三丁目 荷揚場(魚の置場)があったことに由来する。
36 船越町の街道松
(その1)
並木 安芸区船越三丁目 今は一本しか残っていないが昭和48年ごろには2本あった。かつては5本あったという。
37 光明寺跡 寺社・祠堂 安芸区船越二丁目 中世寺院があったといわれ鎌倉時代を下らない布目瓦や須恵器が出土している。
38 古峠 地名 安芸区船越二丁目 的場橋を通って北に直進する道があり、明治20年以後は「新だお」に移った。
39 船越峠 地名 安芸区船越二丁目 「新だお」といわれる今の峠は明治20年以後にできたもので、古峠はこれより5m高い。

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