学芸員が普段の仕事の中で感じたことや、日々のこぼれ話、お気に入りの展示物などを紹介します。

ゴールのないリレー

2011.3.28

土器復元 遺跡を発掘すると土器が見つかります。みなさんもよくご存じのことでしょう。
 実はほとんどの場合、遺跡から見つかる土器はたくさんの破片となった状態です。ジグソーパズルをするように、ひとつの破片と隣り合う破片を探してつなげていくことで、器の形に復元されるのです。実に根気のいる作業です。
 この作業で活躍するのが、遺物の整理を行う作業員の方々です。わが文化財課の整理作業員はエキスパート揃い。「私らも何も知らんところから始まったんよー。」と仰いますが、今や収蔵庫にある土器の多くは、この作業員の方々の手によって復元されたものです。
 何千年も昔の人々によって作られた土器が、今また何人もの手によって、土の中から掘り出されもとの形に復元され、そしてこれからも多くの人の手によって受け継がれていくのだろうと考えると、それはまるでゴールのないリレーのようです。復元された土器を見ていると、作業員の方々がこのリレーにとって、どれほど重要な走者であるかをつくづく感じます。そしてこのリレーの走者として、共に走れることを誇らしく思うのです。

文化財課学芸員 中原望/写真:復元した土器のコーティングをしているところです。

今も昔も変わらない…子どもを想う親の心

2011.3.16

手形 子どもの健やかな成長を願う親の気持ちは今も昔も変わらない…。当たり前だけれど、改めてそう気づかされる出土品があります。
 赤ちゃんが誕生した記念に手形や足形を残す習慣は今もありますが、実は北海道から東北地方にかけての縄文時代の遺跡の一部から、粘土板に乳幼児の手形や足形を押し付けた土製品が見つかっているのです。
 出土例が少ないことから、どんな目的で使われたものか、まだはっきりとした結論はでていません。生まれた記念や初めて歩いた記念に足形をとり、みんなでお祝いしたのでしょうか?ひもを通すためか小さな穴があけられたものもあります。吊り下げてお守りにしたのでしょうか?なかにはお墓から見つかっているものもあります。幼くして逝ってしまった我が子とともにお墓に納めたのでしょうか?
 数千年の時を経ても変わらない親心を感じ、縄文時代のお母さんたちと、子育てについての笑い話や苦労話で盛り上がれるような、そんな気がしてきます。

文化財課学芸員 田原みちる/写真:出土品をまねて粘土でとった小さな子どもの手形 ※約10㎝

過去へのリンク

2011.2.18

音林寺の滝  広島の人には馴染み深い土師ダム。その土師ダムが塞き止めた八千代湖の南の「三田谷」という小さな谷に滝があるらしいと知り、私は退屈しのぎまでに見物に出かけました。そこは堂床山の登山道沿いですが、聞いた事がなかったので“そう見応えはないのだろう”と思っていたのです。ところが、この滝を一目見て、私は感心しました。予想とはうらはらの立派さです。そこでこの滝のいわれを「芸藩通志」で調べると、土師村の絵図でちょうどこの滝のある辺りに「音林寺瀑布」と記されています。「音林寺の滝」、無名どころか実に風雅な響きではないですか。音林寺とはかつてこの付近にあった寺院といわれます。「三田谷の滝」は、きっとその昔「音林寺の滝」として地域の名所とも、祈りの場ともなっていたのでしょう。寺の名前も「滝音が聞こえる林」に由来するのかも知れません。
 思うに、土師地区がダムに沈んでしまったことが、この滝が忘れられてしまった大きな理由ではないでしょうか?もし記録が無ければ、人々の記憶もろとも滝の名前も永久に忘れ去られるところだったでしょう。地域が辿った歴史の変遷をこの滝は象徴しているかの様です。
 ひっそりとしたこの滝の前で「音林寺の滝」の名を思い起こす時、遠い時の彼方の古人の心へとリンクした様な気がします。

文化財課学芸員 松田雅之/写真:“音林寺の滝”

絵それとも記号? 謎の土器

2011.2.17

甑形土器  以前、このコーナーで紹介した装飾須恵器が出土した上ヶ原遺跡(安佐北区可部町)。ここでは、他にも変わった土器が出土しています。それは甑(こしき)形土器という土管状の土器で、山陰を中心に分布し、広島湾岸でも弥生時代後期から古墳時代初頭の遺跡から出土する土器です。
  甑形土器そのものも、いまだに使用方法については様々な説がある謎の土器なのですが、上ヶ原遺跡で出土したものの表面には、櫛のような工具やヘラで何かが描かれていたのです。広島県内でも土器の表面に鹿や人物などを描いたものが何例かありますが、上ヶ原遺跡のものは、全体を見ても何を描いたものかさっぱり判らないのです。このように線を刻んだ土器は、大きく絵を描いたもの甑形土器と記号を描いたものに分かれますが、絵なのか
記号なのかさえ判りません。線は、ヘラで描いた一条の線のものは少なく、櫛で描いた数条の線が主体で、ヘラの線の上に櫛で描いた線を重ねてヘラの線を消してしまっていたりします。そこから、ヘラの線と櫛の線は別々のものと見なして、ヘラの線だけを抽出しても、櫛の線がヘラの線を消してしまっているため、何なのか判りません。職員の間でも、建物だの、船だのと色んな案は出ますが、決定的な証拠が見つからないのです。
  現代アートも「うーん」と考えさせられるものが多いのですが、古代のアートも負けず劣らず悩まされてしまいます。その一部を写真と図面で紹介しますが、みなさん何だかわかりますか。

文化財課学芸員 田村規充/写真上:線の刻まれた土器の一部 写真下:土器の破片のラインと線を抽出した図面の一部。赤ラインはヘラの線

  
2011.3.28
ゴールのないリレー    
2011.3.16
今も昔も変わらない…子どもを想う親の心    
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2011.2.17
絵それとも記号? 謎の土器    
 

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