学芸員が普段の仕事の中で感じたことや、日々のこぼれ話、お気に入りの展示物などを紹介します。

「たいした山じゃない」

2022.5.27

 今回は愚痴です。
 この春、フィールドワークの下見のため、二葉山に登りました。担当者のAさんは日頃から「山ゆうほどたいした山じゃないんよ。」と言っていました。ですから気分も軽いです。 さて、下見当日の出発前。「こんなスニーカーなんだけど履き替えた方がいいかな?」
 Aさん、「ああ、全然大丈夫よ。多分。たいした山じゃないじゃけえ」
 この時、彼の足元がキャラバンシューズだったことと、「多分」のひとことにもっと不信感を抱くべきでした。
 すごい坂道ではありませんか。息が切れるじゃありませんか。足がだるいじゃありませんか。しかし、単に最近の運動不足のせいかも知れないと思い、黙っていました。
 せっかくなので、尾長山経由で帰ろうということになりました。想像を絶した急斜面な上に、地面がガラガラで「足を滑らせたらどこまで落ちていくんだろう」と、ドキドキしながら下山しました 
  無事に帰ることができて良かったです。
 この日覚えたのは「人の話を鵜呑みにしてはいけない」ということです。
      
  文化財課学芸員 岡野孝子 

画像:上:たいしたことない山からの眺め
   下左:この靴でこのガラガラは命がけの件 / 下右:勢い余ったら真っ逆さまな件






文化財課周辺の戦跡 その1

2022.5.24

 (公財)広島市文化財団文化課の位置する広島市東区光町一帯は、昭和20年(1945)までは、陸軍第五師団の東練兵場でした。今ではビルも立ち並び、その痕跡を見つけることはできません。しかし、文化財課から歩いて行ける範囲には、今でも見ることができる戦跡が残っています。この戦跡を2回に分けて紹介してみたいと思います。

-二葉山高射砲陣地-
 文化財課から北北西の方向に標高139mの二葉山があります。山頂には平和塔(仏舎利塔)が設置されています。広島駅の新幹線口から真正面に見えるので、ご存知の方も多いと思います。この山頂付近にはかつては陸軍の高射砲陣地が置かれていました。しかし、この陣地がいつ造られたものか、記録された資料は見当たりません。「本土防空作戦記録(西部地区)」(注1)によれば、昭和16(1941)  8月時点で、広島防空隊として高射砲4中隊、照空2中隊(照空とは、夜間サーチライトで敵機を照らす部隊)が存在しています。この高射砲4中隊の陣地がどこに置かれていたかは不明です。12月になると、小倉から博多・下関・広島の防空隊を基幹として、西部防空旅団が編制され、昭和18年(1943)8月には西部防空集団に改編され、昭和19年(1944)6月には、西部高射砲集団と改称されます。
 昭和196月頃の編制を見ると、西部高射砲集団隷下の高射砲第百三十五連隊(注2)は、第一中隊(七高)向宇品、第二中隊(七高)江波公園、第三中隊(七高)二葉山、第四中隊(七高)向洋、第五中隊(照空)五日市、第六中隊(照空)似島と展開していたようです。八八式七糎野戦高射砲(七高)とは口径7cmの高射砲のことで、コンクリートの砲座に固定された八八式糎野戦射砲が配備されていたと思われます。この時点で、確実に二葉山の山頂に高射砲陣地が構築されていたようです。しかし、6月末時点で、高射砲第百三十五連隊の高射砲3中隊、照空2中隊が北九州に転用され、広島には高射砲1中隊だけが残されたようですが、どこの部隊が残されたのか資料に記載がありません。

 昭和19年10月には、高射砲第百三十五連隊の大部分を基幹として、独立高射砲第二十二大隊が編制されます。昭和20年2月に独立高射砲第二十二大隊は、本土決戦に備えた陸軍全体の組織改編により、九州を担任地域とする西部高射砲集団から離れ、近畿・中国・四国を担任する中部高射砲集団に隷属します。5月には中部高射砲集団は高射第三師団となります。
 「本土防空作戦記録(中部地区)」(注3)によれば、「七月下旬に至り廣島市に對する敵機の偵察活発となり其の空襲愈々目睫に迫るを思はしむ 廣島は第二総軍司令部の所在地にして第二総軍本土決戦の為の策源なり師団は方面軍命令に據り、山蔭諸港に在りし高射砲部隊の主力、加古川に在りし高射砲第百二十三聯隊第一中隊、下津に在りし機動高射砲中隊、南地区隊の高射砲及照空各一個中隊北地区隊の照空一中隊を抽出して之を廣島に派遣し、獨立高射砲第二十二大隊長の指揮に入らしめると共に先に、岩國に在りし同大隊の高射砲一個中隊を廣島に至り其の直接指揮に復帰せしむるに決し此等諸部隊は八月初頭より逐次廣島市に到着、陣地を占領し在りしが之が完了に先立ち、八月六日早朝廣島市は原子爆弾の攻撃を受け其の大半壊滅す 宇品及海田市附近に在りし部隊竝に展開未了の部隊は被害なかりしも廣島市内に在りし部隊は人員の被害大にして一事戦斗力を喪失せり」と記載があり、昭和20年の時点では、広島市を防衛する高射砲部隊は手薄であり、終戦直前に急遽防空設備を整えようとしていたことがうかがえます
 第二総軍司令官だった畑俊六の回顧録(注4)には「加之第二總軍方面の防空設備は頗貧弱にして、広島の基地さへ漸く司令部の東方山頂に二門、宇品に四門の高射砲を有するに不過。」とあり、防空体制が不十分であったことがわかります。なお、第二総軍司令部は二葉の里(現東区二葉の里)にあり、東方山頂とは恐らく二葉山山頂のことで間違いないと思われます。
 断片的な資料からも、二葉山山頂に高射砲陣地があったことは確実ですが、戦後その場所に平和塔が建設されたため、まったく痕跡は見当たりません。しかし、そこから西に少し進むと兵舎の跡と見られる平坦地があり、残存する入口の段を見ることができます。さらに西に進むと九八式二十粍高射機関砲(注5)が配置されていたと思われる機関銃陣地を見ることができます。しかし、この機関銃陣地の部隊に関する資料は残念ながら見当たりません。

                                    文化財課学芸員 秋政久裕

(注1)「本土防空作戦記録(西部地区)」昭和26年10月調製 復員局
    国立国会図書館デジタルコレクション
(注2) 「本土防空作戦記録(西部地区)」の記載では、広島に展開する部隊は高射砲第百三十四連隊と記さ
    れているが、組織表を見ると、西部高射砲集団に隷属し留守第五師団長の指揮を受ける部隊は高射砲
    第百三十五連隊とあり、のちに高射砲第百三十五連隊が独立高射砲第二十二大隊になることからも、
    高射砲第百三十五連隊が正しいと判断した。
(注3) 「本土防空作戦記録(中部地区)」昭和26年8月調製 復員局
    国立国会図書館デジタルコレクション  
(注4)「昭和20.4.7-20.8.9 第二総軍終戦記」第二総軍司令官 畑俊六
    防衛省防衛研究所史料閲覧室
(注5)「本土防空作戦記録(中部地区)」の単位部隊の装備としては、機関砲中隊は九八式二十粍高射機関砲
    (九八式野戦機関砲もしくはケキ砲)しか書かれていないが、二葉山に残る銃座の大きさから九二式
    重機関銃などの7.7mm機関銃であった可能性も指摘されている。

 

画像:上:広島陸軍兵器補給廠で整備中の八八式七糎野戦高射砲 二葉山にはタイヤを外し砲座に固定してい
     たものが配備されていたと思われます。(写真/広島市市民局文化スポーツ部文化振興課 所蔵)
   下左:兵舎入口と見られるのコンクリート段 
   下右:機関砲の銃座 四角の窪みは弾薬置場 この様な銃座が4つ残り、4つの銃座の中央には指揮所
      も残っています。






「ダウジング」

2022.5.17

 ちょっと胡乱(うろん)な話ですので眉に唾をつけて読んでください。
 ある発掘現場で掘る予定の所に現役の水道管が入っていることがありました。図面も残っていないので正確な位置が分からないとのこと。また、その水道管が古く壊れやすく、重機を入れると壊してしまう可能性が高い、なので掘る前に正確な位置が知りたい。ここまでは結構よくある話です。
鹿角ストラップ  ここからがちょっと違いました。 表土を剝がす作業を頼んだ業者さんは番線(針金)2本取り出してL字型に曲げ、体の前に揃えて持つとちょこまかと歩き出しました。あるところで開きます、そしてそのまま歩くとまた閉じます。そういう作業を何回か繰り返して水道管がありそうな場所を割り出しました。
 私も試しにやってみましたが開きません。
 「コツがあるんだよ」と言われてやり方を教えてもらいました。
 
 鹿角(先端部) まず、針金はぎゅっと握らずに動きやすいように緩く持つ。長い部分をちょっと下向きにすると最初から勝手に開かない。両手同士はくっつけて、体にもくっつけて持つ。そして歩く時は大股で歩くと反応する前に進んでしまうので、小股で歩く。たったこれだけです。最初私は前に倣えの体勢で持っていました、これではだめなようです。教えられたとおりにやってみると確かに開く箇所があります。どうやら誰でもできるみたいです。その後実際の発掘で水道管を掘り出しましたが、場所はぴたりと一致していましたとして処分していました。
【試作】鹿角笛 材料は針金でしたが、他の物でもいいのかもしれません。長さは適当でいいですが、30センチ前後が使いやすいです。なんとなく静電気とかに関係してそうなので金属がいいかなとは思っています。散水用のビニールホースでも反応しました。失せ物探しとかにも活用できそうですが、試したことはありません。
 レッツトライ!
          
文化財課主幹 中山昭大 

画像:上:遺跡でのダウジング例 / 中:持ち方 / 下:今回作ってみたダウジング棒






「鹿角もSDGs」

2022.4.19

 ただ今4月29日(金・祝)に安佐動物公園で開催する「鹿角ストラップづくり ~ArchaeloZoo 人と動物の考古学~」の準備作業の真っ最中です。
鹿角ストラップ  人間には古くから動物と共存してきた歴史があり、当課が取り組んだ遺跡の発掘調査でもさまざまな動物の骨や牙等が出土しています。これらは、人間が食した痕跡を示すだけではなく、装飾品や祭祀具等の素材として使われて見つかることも多々あるのです。鹿の角は、年に一度春に生え変わるので、鹿を捕まえなくても手に入れることができるものです。こういった生態や人と動物・自然との関わりについて歴史的側面から学ぶきっかけづくりとして、広島市安佐動物公園と連携して鹿角を使った工作を来園者のみなさんに体験いただくのです。楽しむついでに少し学んでいただければ、うれしいかぎりです。
鹿角(先端部)
 飾りとして用いる鹿角は、1本丸ごとの角を電気のこぎりでスライスして作り出しています。太い根元から切り出していくのですが、先端部は細くて、飾りとしてスライスすると小さすぎてすぐに割れてしまうので、端材として処分していました。SDGsの考え方が広まる現在、「つくる責任 つかう責任」の観点から、処分していた鹿角を有効活用する方法はないものかと模索中です。
【試作】鹿角笛  海外に目を向けると、角を加工して楽器として用いるところがあります。水牛の太くて円錐状のものの内部をくりぬいた角笛で、金管楽器のホルンの原型であり、角=horn(ホーン)が語源となっています。鹿でも似たようなことができないかと考え、試作してみました。内部を全てくりぬいて空洞をつくりだそうとすると強度が足りなくて割れてしまいますが、中ほどまで穴をあけて、パンフルートのように息を吹き込むと、共鳴していい音が響きます。イベントで披露し、安全に吹けるようにするためには、もう少し改良しなければなりません。しばしお待ちください。

文化財課指導主事 福島 忠則

画像:上:鹿角ストラップ / 中:鹿角(先端部) / 下:【試作】鹿角笛

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