学芸員が普段の仕事の中で感じたことや、日々のこぼれ話、お気に入りの展示物などを紹介します。

「煙管(きせる)」

2022.8.3

 当課では、昨年度までサッカースタジアム整備に係る発掘調査を行っていました。現在は、その現場で出土した遺物の整理作業(復元、実測、写真撮影など)を行っているのですが、馬具や釘、古銭など様々な金属製品が出土しています。なかでもよく見かけるのが煙管。ざっと数えてみると30点程度あります。

 日本にたばこが伝来した時期については、諸説ありますが、南蛮人によって、16世紀末頃までに伝えられたと考えられています。たばこが日本に伝来してからしばらくすると、刻んだ葉たばこを煙管に詰めて吸うという喫煙方法が一般的となります。煙管は煙草を吸うパイプのことで、「雁首(がんくび)」・「羅宇(らう)」・「吸い口」と大きく三つの部分から成り、火皿に刻んだ煙草の葉を入れて火を付けて吸いました。煙管の素材は、吸い口と雁首は金属製のものが多いですが、石や木、陶器のものもあります。

 画像2は、サッカースタジアム建設予定地から出土した煙管です。青銅製で、吸口には羅宇に使われていた木材の一部が残存しています。出土した煙管は、火皿の大きさや雁首の湾曲具合など、形が少しずつ違っていて、煙管の形は非常に種類が多いことがわかります。また、文政6(1823)年に葛飾北斎が著した『今様櫛きん雛形(いまようせっきんひながた)』には、煙管の形や雁首・吸い口の絵柄が160点ほど紹介されており、この文献からも煙管の形や雁首・吸い口の絵柄の種類が豊富だったことがうかがえます。

文化財課学芸員 日原 絵理

画像1:煙管 各部名称 画像2:出土した煙管
画像3・4:『今様櫛きん雛形』葛飾北斎著 天保12(1841)年補刻 国立国会図書館所蔵

名称 きせる











画像1                         画像2


      ひな形1ひな形2












画像3                         画像4

「セミ」

2022.7.26

 今年は梅雨らしい梅雨でもなく、梅雨明けも6月28日と例年よりも随分と早かったですね。梅雨が明けても、夏の風物詩、セミの声をあまり聞かないなってちょっと思ってたんですけど、どうも梅雨季のまとまった雨量は、セミの羽化にとって必要なことみたいです。

 先日7月15日に、広島城三の丸(堀の直ぐ南側、圓鍔勝三作「花の精」があるところと言ったら分かりやすいでしょうか)の堀南側にある植樹帯の地中を掘削するとのことで、埋蔵文化財の有無を確認するため朝から行ってきました。この植樹帯にはケヤキが数メートル置きに植えられ、上空からはセミの「シャシャシャ・・・」というけたたましい鳴き声が降り注いでいました。この鳴き声の主はクマゼミです。やっと夏到来を感じた瞬間でした。

 セミの姿を確認しようと見上げたものの残念ながら確認することができませんでしたが、その代わり、ケヤキを生垣状に囲っているアベリアの葉には、おびただしい数のセミの脱殻が付いていました。1ヶ所に3つも殻があるところもあり、驚愕(きょうがく)しました(下写真内)。

                 脱殻のついたアベリア
 
 実は脱殻を見ただけても、クマゼミと分かる特徴があります。体長が大きいのもありますけど、おなかを見るとおへそがあるのがそれです。セミの雄と雌の見分け方もあるようで、お尻の突起の上に縦筋があるのが雌で、ないのが雄です。夏休みの自由研究で、近所の公園でセミの脱殻を集めて、どんな種類のセミがいるのか調べてみるのも面白いと思います。


      クマゼミの脱殻(オス)             クマゼミの脱殻(オス)

 ところで、セミと言えば、江戸時代の俳人松尾芭蕉の「閑さや岩にしみ入る蝉(せみ)の声」の句が有名ですね。これは、元禄2(1689)年5月27日に出羽国(現在の山形県)立石寺(りっしゃくじ)(注:旧称は「りゅうしゃくじ」)に参詣した際に詠んだ発句と言われています。5月27日は大陰暦で、グレゴリオ暦だと7月13日だそうです。これ何ゼミだったと思いますか?話の流れから、クマゼミか!と言いたいところですが、クマゼミは南方系のセミであるため東北地方は生息域から外れるそうです。では、どのセミなんでしょう。セミのことを調べていてはじめて知ったのですが、かつて著名人も「蝉の声」のセミが何なのか気になったようで、歌人斎藤茂吉がアブラゼミだと主張する一方、文芸評論家小宮豊隆(注 夏目漱石門下生)がニイニイゼミだと反論する、といった論争があったようです。結局、実地調査の結果山形県では7月13日段階ではまだアブラゼミが出現しておらずニイニイゼミということで落ち着いたようです。


文化財課主幹学芸員 高下 洋一

画像:写真上:脱殻のついたアベリア(脱殻は内) 
   写真下左:クマゼミ(オス)の脱殻
   写真下右:クマゼミ(メス)の脱殻



「X線撮影」

2022.7.21

 発掘調査では、昔の人が使用した土器や陶磁器が出土しますが、他にも石器や木製品・鉄製品など様々なものが出土します。このうち、鉄製品は鉄でできているため地面の中に埋まっている間にさびていきます。さらに土の中でこのさびが土とくっつき、出土したときは厚いさびの塊に覆われた状態になっています。このため出土したときは元の形がわからない状態のものも多数あります。このままではどこまでさび落としをしてよいか、また、実測図も描けず、性格もわからないので、X線での撮影を行います。

 例えば、写真左下の遺物は、出土したときにはさびだらけで、いったいどのような製品か見当がつかなかったのですが、X線で撮影すると、写真右下のように地の鉄の部分が見えるようになり、ハサミであることがわかります。この画像を参考にさびを落とし、実測図を作成するなど、次の作業へと移れるようになります。

 このX線撮影、現在はデジタルX線撮影になっているため、撮影するとすぐにその映像を確認することができます。本当にさびだらけの出土物の構造が鮮明に透けて見えるため、撮影に立ち会いながら「ほー」「あーすごい」と度々声を出してしまうのです。下の写真のように、ゼンマイ時計の機械部分が撮影によってわかった時は、本当にテンションが上がりました。X線撮影のように、いつの日か発掘せずとも地面の中も鮮明に見えればいいのにな、と思ってしまう次第でした。

文化財課主任学芸員 桾木敬太

画像:写真上左: 出土したさびが付いた鉄の塊 
   写真上右: 出土品のX線 撮影画像
   写真下: 掛け時計のゼンマイ部分(画像中央から下に振り子が付く構造です)



「日本号」

2022.7.1

 昨春に福岡から広島に越してきて、今春から文化財課に配属されました。大学では地質学を専攻していたため、埋蔵文化財と比べると扱う年代が大きく違うのですが、過去を解き明かすという点は共通していると思いますし、これまで自分が経験したことの、点と点がつながるような発見があると嬉しく思います。

以前、広島城を訪れた際に、広島と福岡のつながりを感じるものがありました。天下三名槍のひとつ「日本号」です。室町時代後期に作られたとされ、総長321.5㎝、刃長79.2㎝もある大身鎗です。正親町(おおぎまち)天皇から足利義昭に、そして織田信長や豊臣秀吉の手に渡り、その後福島正則に下賜されたといわれています。現在、日本号は福岡市博物館が所蔵し、広島城にはその写しがあります。その理由として、以下の逸話が有名です。

黒田家の家臣のひとり母里太兵衛(ぼりたへえ)友信が、黒田長政の命を受け、福島正則の元に遣いに行った際、長政から「行った先では酒を飲むな」と釘を刺されます。しかし、「大盃を飲み干せば、この鎗を与える」「黒田の武士は酒も飲めないのか」と挑発された太兵衛は、見事飲み干し、日本号を手に入れたといわれています。

JR博多駅や光雲(てるも)神社(注1)には、日本号と杯を持つ太兵衛の像があります。また飲食店でも、黒田武士の博多人形(注2)を見かけることがあります。もうひとつご紹介したいのが、クラフトハウス株式会社(福岡市中央区)制作の「黒田武士ロボット」(注3)です(現所蔵:福岡市科学館)。博多人形の凛々しい頭と博多織を身に纏い、民謡「黒田節」に合わせた舞を披露する二足歩行型ロボットです。舞の途中では、鎗をつかんだり杯を持ったり、酒を飲みすぎて少し千鳥足に…という細かい動きまで表現されています。福岡城跡や福岡市博物館でも舞を披露したことのあるロボットなので、いつか広島城でも…と思ってしまいます。福岡を訪れる機会がありましたら、ぜひ広島と福岡のつながりを感じてみてください。

文化財課学芸員  相原 秀子 

(注1)福岡市中央区にある光雲神社は、黒田官兵衛孝高公と、その息子で初代福岡藩主の黒田長政公がまつられています。日本さくら名所100選のひとつにもなっており、おすすめです。

(注2)飲食店や家庭で飾られる博多人形。以前は新築祝いなどで贈られることも多かったそうです。表情や杯、袴の彩色の違いなども見ると興味深いです。

(注3)基本展示室(有料)で展示されています。サイエンスショーで演示があることもあります。

画像:写真左: 西公園光雲神社にある母里但馬守太兵衛友信像  
   写真中: 黒田武士の博多人形(個人蔵)
   写真右: 黒田武士ロボット




「ツバメと人びと」

2022.6.29

 

 今年は、久しぶりに家にツバメがやってきました。エサをもらう時以外はくちばしが見えるかどうかの大きさでしたが(写真)、いつの間にか親鳥より大きくなっており、狭そうな巣を見た翌日にはもう巣立っていて、ふっくらしたヒナが電線に止まって親鳥からエサをもらっていました(写真)。巣にヒナがいたのは2週間ほどでしたが、来年も無事に来てくれることを願っています。

ツバメは、春に東南アジアなどから飛来する渡り鳥です。害虫を食べるので昔から益鳥として大切にされており、『竹取物語』や『万葉集』にも登場します。稲を食べる害鳥のスズメと対比されることが多い印象でしたが、中国・前漢の百科全書『淮南子(えなんじ)』や『万葉集』では、春に来るツバメは冬に来る水鳥である雁(がん)と対比して取り上げられていました。水鳥といえば、古墳時代には水鳥形埴輪が作られており、中には雁をモデルにした埴輪もあったと考えられます。一方、ツバメについては近世の絵画や着物の模様などの例はありますが、古代の遺物は今回調べた限りは国内では見つけられませんでした。

直接の影響があるかはわかりませんが、中国・前漢の歴史書『史記』に「燕雀安知鴻鵠之志哉(燕雀(えんじゃく)安(いずく)んぞ鴻鵠(こうこく)の志を知らんや)」という記述があり、燕雀(ツバメやスズメ)が狭量な人物、鴻鵠(白鳥などの大型の鳥)が傑物に例えられています。権力者にとっては、陸・海・空にまたがって生活し身体も大きい水鳥の方が魅力的なモチーフだったのかもしれません。

      
  文化財課主事 兼森帆乃加 

画像:写真左: ツバメの巣(6月9日撮影) 
   写真中: 成長したヒナ(6月15日撮影)
   写真右: 巣立ったヒナ(6月15日撮影)

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