稗畑遺跡(ひえばたいせき)
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▲集中して埋葬された
土器棺墓
▲
土器棺墓
に使用された土器
なまえ
稗畑遺跡(ひえばたいせき)
時代は?
弥生時代後期(今から約1800年前)
どんな遺跡?
集落跡
稗畑遺跡は倉重川のつくる谷の最も奥に位置する丘の上にある弥生時代後期のムラの跡です。33軒もの
竪穴住居跡
が確認され、周辺の中心的なムラであったものと思われます。特に南向きの斜面から20軒の家が出土したことが注目されます。また、
土器棺墓
が7基もまとまって見つかったのも市内の他の遺跡では例がありません。
主な遺構
竪穴住居跡
33軒、
掘立柱建物跡
8棟、
土器棺墓
7基、土坑3基
主な遺物
弥生土器、
石鏃
、
石包丁
、
紡錘車
、
土錘
、石斧
【場所】
石斧についてしろう(歴史の扉7号)
石の鏃についてしろう(歴史の扉4号)
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