高陽台遺跡群(こうようだいいせきぐん)
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▲柱をたてた穴が残る家の跡(A地点)


▲古墳の頂上につくられていた石棺(B地点)
なまえ 高陽台遺跡群(こうようだいいせきぐん)
時代は? 弥生時代後期〜古墳時代前半(今から約1900年前〜1600年前)
どんな遺跡?

A地点:弥生時代の集落跡
B地点:弥生時代の住居跡・墳墓と古墳時代の古墳

 高陽台遺跡群は、太田川の東側に広がる丘にあります。A地点では、家の跡や食べ物をたくわえるための穴が見つかりました。またB地点では、弥生時代の家の跡や村人をほうむった墓地と、古墳時代の有力者のお墓である古墳とが重なって見つかりました。B地点一帯は、長い期間を通して墓地として使われていたようです。
 なおB地点にあった古墳時代の箱式石棺が、地元の落合小学校などに移転復元されています。
主な遺構 A地点:竪穴住居跡4軒、土坑9基、溝状遺構1か所
B地点:竪穴住居跡2軒、掘立柱建物跡1軒、墳丘墓1基、古墳4基
主な遺物 A地点:弥生土器、やりがんな、砥石(といし)、鉄斧
B地点:弥生土器、土製管玉、ガラス小玉、鉄鏃、鉄剣
【場所】

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