学芸員が普段の仕事の中で感じたことや、日々のこぼれ話、お気に入りの展示物などを紹介します。

「物価高、恐るべし…!」

2026.7.27

 最近、広島にゆかりのある某お菓子メーカーがパッケージを白黒にするというニュースがありました。広島のスーパーマーケットなどでも販売が始まったようなので、すでに店頭で見かけた方もいらっしゃるかもしれませんね。

 このように、生活の中でも石油やナフサ不足の話を身近に感じるようになりましたが、当課の業務にも石油不足の影響が出始めています。
 例えば、現場の出土品を持って帰るための袋。発注をお願いした業者の方の話によると、購入数量の規制がかかっているようです。出土品の破片をくっつける際に使用する接着剤も、この間購入した際に確認してみると、1個当たりの値段が3カ月前に購入した時よりも数十円上がっていました。
 一番打撃が大きかったのが、出土品や活用事業で使用する物品などを収納するためのコンテナです。1個あたり数千円するのですが、出土品の数が多い現場の整理作業では、百個近く使用することもあります。常に不足している状態で、コンテナを使いたい場合は、見つけ次第自分なりに確保しておかないと、すぐに他の職員に使われてしまいます。

 このように、当課職員の間で取り合いをしているコンテナですが、今年度の初めに購入した際、業者の方から、次回から3割程度値上がりするとのお話がありました。ただでさえ争奪戦をしている状態なのに、買えるコンテナの数がどんどん減っていく…と物価高を痛感する出来事でした。


収蔵庫の様子
  棚に入りきらず、床の上まで置いています。
  足の踏み場が徐々になくなっていく…
整理作業の様子
天井近くまで整理途中のコンテナが積みあがっています。
写真の詳細については、こちらの記事をご覧ください。


文化財課学芸員 近藤 博美

▲このページのトップへ

「もうすぐ大暑!」

2026.7.14

 毎日茹だるような暑い日が続いていますね。今年からは最高気温40℃以上の日を「酷暑日」と呼ぶように気象庁が設定し、益々厳しい暑さを感じるようになったのではないでしょうか。

 さて、カレンダー(日付だけでなく、いろいろ文字が書かれているタイプのもの)に目をやると、7月のある日に「小暑」や「大暑」と小さく書かれているのを見たことがありませんか。これらの言葉は二十四節気に含まれている名称です。 二十四節気は、もともと古代中国で生まれたもので、暦のなかで春夏秋冬の四季をそれぞれ6つに細分し、季節の移り変わりを表す言葉としています。日本へは平安時代に持ち込まれたようで、「春分」や「立春」・「夏至」などが身近に知られています。一方「小暑」や「大暑」はあまりなじみのない言葉となっているかもしれません。
 「小暑」や「大暑」は、江戸時代までの旧暦(太陰太陽暦)では6月に記載されているのですが、現在の暦(太陽暦)では「小暑」は7月7日の頃で、本格的な暑さが始まる日とされています。また「大暑」は7月23日頃、一年中で最も暑さが厳しい時期に入るとされています。この頃には梅雨が明け、夏本番を迎えるようになります。

 さて暑いことと言えば、現在私が担当している発掘現場でも、強い日差しと高温多湿の状況で、まさに酷暑と呼べるかもしれません。日中ずっと作業していると日々疲労困憊でクタクタです。
 昔から「大暑」の頃は実際に暑さが一番厳しかったようで、その様子が伝わる俳句がいくつか詠まれています。

 「じだらく(=だらしなく)に 勤めてゐたる 大暑かな」石田波郷
 「念力の ゆるめば死ぬる 大暑かな」村上鬼城

 年々暑さが厳しくなり、熱中症による死傷者が全国で増加している中、水分補給だけでなく熱中症予防の強化が求められています。暑さに負けて現場で倒れてしまわないよう、気力だけでなく対策を講じながら何とか乗り越えたい今日この頃です。


発掘現場の気温計
 この日は31.9℃でした。
発掘現場のようす


文化財課主任学芸員 山脇 一幸

▲このページのトップへ

「メダカ」

2026.6.9

 我が家ではベランダでメダカを飼っております。現在大学生の息子が小学校3年生の夏休みに、仲の良い同級生たちと行ったアステールプラザでの催しで釣って持って帰ってきたザリガニ用にと、奥さんが職場敷地内にある池から持って帰ってきた水草にたまたまメダカの卵が着いていて、その後、孵化したのがきっかけです。ザリガニは早々に居なくなって、メダカだけが残ったのがはじまりってわけです。

 ところで、メダカは、ダツ目メダカ科に属する小型淡水魚の一種です。目が頭の高い位置にあることから「目高(めだか)」と呼ばれるようになったと言われています。江戸時代にはすでに観賞用として飼育されていたようです。日本各地で親しまれ、地方名は4700種類近くもあるそうです。
 また、様々な目的の科学研究に用いられていて、1994年7月に打ち上げられたスペースシャトル「コロンビア号」に、日本人女性としては初の宇宙飛行士向井千秋さんとともに4匹のメダカが15日間宇宙飛行したのは有名です。
 西欧には、江戸時代に来日したシーボルト(Philipp Franz Balthasar von Siebold)によって、1823年に初めて報告されています。その後、1846年にテミンク(Coenraad Jacob Temminck)とシュレーゲル(Hermann Schlegel)によって学術書(『日本動物誌(Fauna Japonica)』)に記載され、ニホンメダカは学名Oryzias latipesとして分類されたそうです。

 通常、メダカは春から夏にかけて産卵し、孵化した稚魚は夏、秋の間をかけて成長し、次の年に産卵します。メダカの産卵時期と水田に水が張られる時期が一致しており、日本の稲作文化との関りを示すかのように、「水田の魚」とも称されます。日本列島に稲作文化が定着した弥生時代以降、水田灌漑の形成により、人工水域への適応、拡散をした可能性が考えられます。そして、約2,000年以上の間、日本人にとって身近な存在としてあり続けています。

我が家のメダカ



文化財課学芸員 高下 洋一

▲このページのトップへ

「広島藩の一里塚と一里の長さについて」

2026.5.15

 江戸時代、主要な街道には一里塚が設けられ、旅人が道のりを知る目安となっていました。その名のとおり一里塚は概ね1里ごとに設けられていましたが、江戸時代の1里の長さは地域で異なっており、同一藩内でも異なる場合がありました。
 安芸・備後両国(広島県)における一里塚については、毛利輝元が広島城主だった天正20年(1592)に、備中高梁川から肥前名護屋城まで36町(約4.3km。1間6尺5寸で計算。以下、同じ)ごとに一里塚が築かれたという記録(「豊臣秀吉九州下向記」)があり、これが最も古い記録のようです。これに次いで古いのが、浅野長晟が広島城主だった寛永10年(1633)の記録で、幕府巡検使下向に備えて広島藩内の一里塚が整備されたこと、その際の1里は36町だったことが確認できます(「玄徳公済美録」巻四上『新修広島市史 第1巻 総説編』)。
 しかし、江戸時代中期に萩藩が作成した街道絵図『行程記』(山口県文書館蔵)によると、同時期の広島藩の西国街道では、36町1里だけでなく48町(約5.7km)1里あるいは50町(約5.9km)1里の区間があったことが確認できます。また、48町1里の区間に位置した、御調郡三原城下西町の西ノ宮一里塚(三原市西町)については、厳密に48町間隔にすると三原城内に位置するため、あえて西へ6町ずらして設置されており、東西それぞれ次の一里塚までの間隔が、東は54町、西は42町という特殊事例もあったようです。さらに、江戸時代後期の紀行文には、70町1里、72町1里の区間の存在を窺わせる記述もあります(「小春紀行」「塵壺」)。 なお、お隣の福山藩と萩藩の場合、西国街道は36町1里であり、山陽地方西部諸藩のなかで広島藩のみが統一されていませんでした。残念ながらその原因については明らかになっていませんが、今後の研究の進展に期待したいと思います。
 明治時代になると一里塚は不要とされ、明治9年(1876)に政府は、調査の上「有害無益」の一里塚は廃棄し入札によって民間に払い下げよ、と各府県へ通達しました(「百二十号街道一里塚ノ内有害無益ノ分総テ廃毀」)。これにより、一里塚の廃止が進み、多くが取り壊されました。今日、広島県内の旧西国街道では一里塚がそのまま残されている場所はありませんが、移築復元されたものがあります。また、一里塚跡を示す石碑が建てられている場所も多くあります。みなさんも一里塚の痕跡を訪ねてみませんか。


参考文献
川村博忠「近世道中絵図『行程記』の内容と成立時期」『山口県地方史研究』第55号 山口県地方史学会 1986
山田 稔「近世街道絵図「中国行程記」について」『山口県文書館研究紀要』第41号 山口県文書館 2014


 

移築復元された日向一里塚

小己斐山一里塚跡石碑

東広島市西条町上三永所在。東広島呉自動車道建設に
伴って発掘調査が行われ、その後、元の場所から西へ
60m程離れた側道脇に移築復元されました。
広島市西区井口鈴が台1丁目(鈴が台第三公園脇)所
在。佐伯郡井口村の小己斐山一里塚の跡地に建てられ
た石碑。


文化財課主任学芸員 篠原 達也

▲このページのトップへ

「新年度スタート!」

2026.4.16

 新年度がスタートしましたね。環境が変わった人も変わらなかった人も、少しだけ背筋が伸びる季節ですね。本年もこのコーナーでは、歴史・文化に関することや職員が興味を持っていること、文化財課のお仕事のことなど、さまざまなひとことを発信していきますので、引き続きよろしくお願いします!

 さて、今年度、第一弾の「学芸員のひとこと」は、当課のイベント情報をご紹介します。当課では、毎年4月29日に安佐動物公園にて、「鹿角ストラップづくり」を実施しています。この事業は安佐動物公園と共同で開催しており、毎年たくさんの来園者のみなさまに参加していただいています。
 当課は、市内の遺跡の発掘調査を行っている部署ですが、遺跡からは動物に関連する物がたくさん出土しています。これらの出土品からは、単に古くから動物と人間が共存していたということだけではなく、当時の人々の暮らしぶりがどのようなものだったかを窺い知ることができます。
 このイベントでは、鹿角をカットしたプレートとビーズを使ってストラップを作る体験や、発掘調査によって出土した動物の骨や狩りの道具、動物を模した土人形などの紹介を行います。このイベントをきっかけに、古くから続く人と動物との関わりについて、少しでも興味をもってもらえるとうれしく思います。

 文化財課では、このように歴史や文化に関するイベントを多数実施しています。当課が実施するイベント情報は、ひろしまWEB博物館のイベント情報掲示板や公式Instagramで紹介しておりますので、定期的にご確認ください。また、当施設のアカウントをフォローされていない方は、ぜひフォローしてくださいね!


 

昨年度の様子 埋蔵文化財保存活用施設Instagram


文化財課学芸員 日原 絵理

▲このページのトップへ

                                                                           
2026.7.27
「物価高、恐るべし…!」
2026.7.14
「もうすぐ大暑!」
2026.6.9
「メダカ」
2026.5.15
「広島藩の一里塚と一里の長さについて」
2026.4.16
「新年度スタート!」

▲このページのトップへ