学芸員が普段の仕事の中で感じたことや、日々のこぼれ話、お気に入りの展示物などを紹介します。

「赤い宝石ザクロ」

2024.7.17

 昨年10月末、広島市内某所にて。祖母の家の庭木を片付けていたら、見慣れない実の付いた木が生えていることに気が付きました。よく見れば私の身長よりもはるかに高い枝の先に、可憐な赤い花も一つ二つと咲き残っています(写真1)。 何の花だろうと母に尋ねたら、即答で「あれはザクロよ!」と返ってきました。伐採した後、もらった枝がこちら(写真2)。段々たこさんウインナーに見えてくるような気がしませんか?

 ザクロは漢字で「柘榴」・「石榴」と書く、ミソハギ科ザクロ属の落葉小高木です。同じミソハギ科の中には、サルスベリやヒシなどが含まれます。
 西南アジアや中東が原産といわれるザクロが、中国や朝鮮半島を経由して日本に伝来したのは平安時代とされています。平安後期の摂関家寝殿のしつらえをまとめた『類衆雑要抄』によれば、伝来当初は薬用として栽培していたようです。
 その後の日本では実ザクロ(実を食べるために栽培される品種)よりも花ザクロ(花を楽しむための園芸品種で実は生らない)の方が盛んに栽培されました。貝原益軒『大和本草』巻之十二 木之下には、4種のザクロが掲載されています。 また、岩崎灌園『本草図鑑』七 果部には、5種のザクロの図が掲載されています。

 ところで、ザクロの実の旬はいつ頃かご存じでしょうか。一般的には、6~7月に咲いた花が実をつけ、10~11月に収穫できるとされています(花自体は5月下旬から11月頃まで咲くようです)。そう、つまりこの度収穫したザクロは、ちょうど食べごろということです。 十分に熟したことを証明するように、果皮が裂けて中の小さな赤い実が見えています。これは今すぐ食べるべき!と庭の片づけをほっぽって、庭の片隅でザクロをおいしくいただきました。甘酸っぱく瑞々しい果汁がたまりません、最高。
 とはいえ神様は、そんな私の愚行をちゃんと見ていたようです。おいしかった、と立ち上がった時にはシャツに赤いシミが点々と……。ザクロの果汁は一度シミになるとなかなか取れませんので、食べるときにはお気をつけて! また、これを読んでザクロが食べたくなった方は、旬の秋までもうしばらくお待ちください。

参考文献:村松昇「ザクロの特徴と日本におけるザクロ栽培の歴史について」
     (『農業および園芸』90巻1号,2015年1月,12-17ページ)


        写真1 写真2
        写真3

 写真1:青空に映えるザクロの花
 写真2:近くで見るとこんな感じ。
 写真3:大収穫のザクロの実。ポストは赤く染まった。



文化財課主事 友井 瑞希

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「広島花崗岩」

2024.7.4

 私は小さいころ「いつ頃からあるの?」ということをよく聞いてくる子供だったようです。 冷蔵庫や車なら親も質問に答えられるのですが、山や川なんかについても「いつできたの?」と聞いてくるので、困っていたそうです。 ある時、家族で太田川に遊びに行ったとき、拾った花崗岩を親に持って行って、いつ頃にできたのか聞いたところ、「人間が地球に現れるよりも前だからわからない」と言うのです。 そこから私は地球の歴史に興味を持ち続け、地球の歴史を専門とする学芸員になりました。

 話を太田川の河原の花崗岩の年代に戻しましょう。 私の親が河原の花崗岩を「人間の歴史よりも古い」と答えたことは、正しい答えでした。どうやら広島市周辺の巨大な花崗岩地帯は恐竜がいた白亜紀という時代の真っただ中の8550万年前頃に作られたもののようです。 広い目で見ると、同じような規模の花崗岩は、西日本に点々とあります。そして、「これらの西日本各地にある花崗岩がいつできたの?」という問いが、もしかしたら地球科学者の究極の問いに答えるカギの一つになるかもしれないと期待されています。

 その究極の問いとは、「どうやって陸地ができたか」ということです。花崗岩は、海洋をつくるプレートにはなく、陸を作るプレートにだけ存在することがわかっています。 地球が生まれ、最初に海ができた時、現在の様な陸地はありませんでした。つまり、陸もないので、花崗岩も存在しませんでした。花崗岩がいつ、どのようにして生まれるかを調べていくことは、「どうやって陸地ができたか」という問いに答えることと同じなのです。 今のところ、西日本の花崗岩は広島市より東側に向かって、2500万年ごとに巨大な花崗岩が作られてきたことがわかっていますが、2500万年ごとにどのようなしくみで巨大な花崗岩が作られたのかはまだよくわかっていません。 この謎を解くカギが眠っているのは、もしかしたらあなたの足元の花崗岩かも知れませんね。

 花崗岩は広島県の地盤の40%を占めていて、日本地質学会で「広島県の岩石」にも選ばれており、皆さんにとってもなじみのある岩石ではないでしょうか。 広島市文化財団文化財課の施設の前に移築した本物の石棺は、すべて広島花崗岩が使われています。きっと広島の古代人にとっても身近なものだったのでしょう。お近くに来られた際はぜひお立ち寄りください!


      写真1 写真2
      写真3 写真4

 写真1:広島市文化財団文化財課の施設の前に移築された安芸区中野東所在成岡第2号古墳の石棺
 写真2:広島市文化財団文化財課の施設の前に移築された安佐南区大町所在大町七九谷遺跡の石棺
 写真3:ピンク色の鉱物は広島花崗岩に特徴的なカリウムの多い長石です。
 写真4:石英は白いガラス質の結晶で、風化しにくいため、風化が進んだ部分では浮き出ています。



文化財課学芸員 久保 貴志

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「入船山記念館」

2024.6.6

 5月の連休はみなさんどう過ごされましたか。今回は広島市内から程よい場所にある呉市の入船山記念館を紹介します。

  入船山記念館は呉市の入船山公園内にあり、旧呉鎮守府司令長官官舎、旧高烏(たかがらす)砲台火薬庫、歴史民俗資料館等からなる施設です。 この場所には、大宝3(703)年から亀山神社が鎮座しており、江戸時代後期の広島藩の地誌『芸藩通志』には、「八幡宮 宮村亀山にあり、山、初は入船山と称す・・・」と記載されています。 しかし、明治19(1886)年に鎮守府が設置されたことに伴い、境内地は海軍用地として接収され、 亀山神社は呉市清水に移転することになります。

 明治22(1889)年に呉鎮守府が開庁し、この場所には軍政会議所兼水交社が建てられ、明治天皇行幸時には行在所となります。 そして、明治25(1892)年からは呉鎮守府司令長官官舎として利用されましたが、明治38(1905)年の芸予地震で大きな被害を受けたため、同年に建て替えられ現在の姿となりました。 この建物は呉鎮守府建築科長の櫻井小太郎が設計し、和洋併設型住宅で洋館部は公的な利用、和館部は私的な利用と機能が分けられ、第7代から第32代までの歴代長官官舎として使用されました。 終戦後しばらくは、呉に進駐した連合国軍司令官の官舎として使用され、昭和31(1956)年に日本に返還、のちに呉市へ譲与、市史跡に指定。昭和42(1967)年に入船山記念館として開館、平成10(1998)年には国重要文化財に指定されました。

 旧呉鎮守府司令長官官舎は内装がおしゃれで見どころのひとつです。 玄関ドアには海軍の錨と桜のマークをデザインしたガラスが使われ、周囲にはステンドグラスがはめ込まれています。 また、壁紙には金唐紙※1が使われており、広間・玄関・廊下の腰壁には金色の縦縞花柄文様、応接所の壁には流水文様と菊花文様、客室の壁には草花と昆虫、食堂の壁には入船の森、天井には花模様の計5種類の文様が壁紙に使用されています。 私が特に興味深く感じたのは客室の壁紙で、あまり見ることがないデザインであり、緑地に金色の草花と14種類の昆虫(カブトムシ、セミ、アゲハ蝶など)が描かれています。 14種類すべての昆虫を見つけるのは難しかったですが、とても素敵な壁紙でした。

 呉までは広島から車で30分程度で行くことができるので、ドライブがてら休日に訪れてみてはいかがでしょうか。


写真上: 旧呉鎮守府司令長官官舎
写真下(左):旧呉鎮守府司令長官官舎の玄関ドア
写真下(右): 旧呉鎮守府司令長官官舎の客室
※1金唐紙:金唐革に似せて加工する擬革紙の一種。
  金属箔を施した和紙に、凹凸加工をつけ、上からワニス、彩色をして仕上げた壁紙。



文化財課学芸員 日原 絵理

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「「もぐりん」リニューアル!」

2024.5.2

 早いもので、新年度が始まってもう5月ですね。穏やかな天気の日が続いていますが、気持ち良く過ごすことのできる季節が年々短くなっているような気もしますので、今のうちにこの気候を目いっぱい満喫したいものですね。
  さて、この春から新たなメンバーを迎え、文化財課は新体制で業務をスタートしています。また、本年度、文化財課は東区光町から西区福島町への事務所の移転という大きな節目を迎えますので、職員一同、一致団結して移転の準備を行っているところです。  

 そんな中、今回の「学芸員のひとこと」では、当課の可愛い(?)同僚である、マスコットキャラクター「もぐりん」を改めて紹介したいと思います(左:画像1「リニューアルした「もぐりん」)。
 これまでも「もぐりん」は文化財課ホームページ「ひろしまWEB博物館」や出張事業、広報記事などで活躍してくれていましたが、施設の移転を迎えるに当たり、外見を大幅にリニューアルしました。

 ちなみに、「もぐりん」は、もともとは当課に在籍した学芸員の方がデザインしたキャラクターなんですよ(画像2)。もぐらによく似た外見ですが、文化財が好きな「妖精」だそうです。デザインは過去に一度リニューアルされており、2代目「もぐりん」が長年活躍していました(画像3)。

【もぐりん プロフィール】
 〇 生年月日
   5月30日(文化財保護法公布記念日!)
 〇 年齢
   妖精なので年齢はない
 〇 身長
   推定15cm
 〇 体重
   推定100g
 〇 住んでいるところ
   広島市埋蔵文化財保存活用施設の地中
 〇 好きな食べ物
   土器で炊いた米(特におこげ)、どんぐりクッキー
 〇 趣味
   遺跡・文化財探訪、ハイキング
 〇 性格
   楽天的でのんびり屋、すぐあきる
 〇 特技
   土器や勾玉づくり、発掘

 今回のリニューアルに当たっては小さなお子さんにも親しんでいただけるような、丸みを活かしたデザインとなるように工夫をしました。一方で、モチーフの「もぐら」らしさを失わないようにする点が難しかったと思います。
 いくつかのデザイン案を描き起こしたのですが、残念ながら不採用となった「もぐりん」のデザインもありますので、この場で紹介したいと思います(画像4・5・6)。卵形だったり、少し背が高かったり、いろいろなバリエーションの「もぐりん」が生まれましたが、最終的にはバランスの取れた柔らかい体形に落ち着いたように思います。
 移転後も、「もぐりん」は新たな施設でたくさん活躍してくれると思いますので、ぜひ皆さん新しくなった「もぐりん」にも会いに来てください。次回、私が記事を書く予定の9月の「学芸員のひとこと」では、当課の引越の様子をレポートしたいと思います!お楽しみに!


      画像2 初代「もぐりん」  画像3 2代目「もぐりん」
      画像4 不採用もぐりんA(たまご形案) 画像5 不採用もぐりんB
   (少しもぐらに近づいた?案)
     画像6 不採用もぐりんC
        (ちょっと背の高い案)

文化財課主査 板木 達也

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2024.7.17
「赤い宝石ザクロ」
2024.7.4
「広島花崗岩」
2024.6.6
「入船山記念館」
2024.5.2
「「もぐりん」リニューアル!」

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