学芸員が普段の仕事の中で感じたことや、日々のこぼれ話、お気に入りの展示物などを紹介します。
「ありがたい ボランティアの視点」
2015.6.16
文化財課では小学校をはじめ、様々なところへ出向いてイベントを行っています。当日は職員だけでなく、ボランティア「ひろしま歴史探検隊」のみなさんにもご同行いただき、一緒に参加者への指導やサポートをしていただいています。
これらのイベントは現地集合・解散となることが多いため、当日中にボランティアさんと振り返りができる機会は少ないのですが、たまに帰りの車中、あるいは後日メールや電話などで、気づきや改善点をお知らせくださる方がおられます。
内容は作業の効率化や安全対策など様々ですが、いずれも参加者の目線にたったご意見で、可能なものは早速取り入れて次に活かしています。
ボランティアさんならではの視点や豊かな発想のおかげで、事業がより充実していっていることを実感しています。これからも遠慮なくご意見をお寄せいただき、様々な事業を一緒に盛り上げていただけるとうれしいです!
文化財課学芸員 田原みちる / 写真:イベント前の打ち合わせ風景
「古墳発掘でこんなん出ました!!」
2015.6.9
安佐南区緑井で現在(平成27年6月時点)発掘中の鳥越古墳。畑の中に残っていた古墳で横穴式石室の石材の裏面を利用して物置小屋も作られており、墳丘もほとんど残っていませんでした。とはいえ、石室の奥壁裏側については山道になっていたものの、石室の天井石の高さくらいまでは土が残り、道の下には墳丘の盛土がある程度残っているのではと考えていました。
ところが調査を進めていくと奥壁の裏側から新しい遺物(ゴミ)が出るわ出るわ。肥料などのビニール袋に始まり、飲料缶や酒の瓶、タイガーマスクの絵のついたズック(靴ではなくこの呼び名こそふさわしい)、バイクなどが出土しました。バイクはスズキのハスラー(TS) 90。バイクに詳しい同僚の話によると1970年代のもの。面白いものでは、ミスタードーナツの景品の皿が出土しましたが、同社のホームページで調べると昭和52年のハロウィンキャンペーンの景品だったものでした。
これらの新しい遺物が出る土の層を取り除いてみると、細い山道と石室の奥壁の裏側との間が斜面となり、石室の高さの半分から上は古墳の盛土がほぼ失われているという景観が現れました。つまり、昭和40~50年代頃には石室の奥壁裏側は斜面となっており山道からゴミが捨てられていたということなのでしょう。道の下には墳丘盛土がある程度残っているのではと期待していただけにガッカリはしましたが、逆に時期がハッキリしている「遺物」が出土しただけに調査方針は立てやすくなりました。古代の貝塚、近世のゴミ穴などに見られるように、とかく発掘調査ではゴミがキーポイントになるのですが、自分が生まれていたついこの間と思われる時期の「遺物」がここまで調査に関わってくるのも珍しいことです。
今回はゴミが調査の判断基準として役に立ったお話でしたが、決してゴミのポイ捨てを奨励している訳ではありません、ゴミは所定の方法で廃棄いたしましょう。
文化財課主任学芸員 田村規充
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「現場ネコ」
2015.6.3
5月の連休後から、文化財課の今年度最初の発掘調査が始まりました。今回の現場は、安佐南区にある「鳥越古墳」です。古墳時代後期の頃の古墳で横穴式石室などが確認されていますが、詳しくは今回の調査で調べていきます。まだ6月なのに、毎日暑い日が続いていて、作業員さんや現場にでている職員は大変そうです。
この発掘現場に、ちょくちょく姿を見せる動物がいるそうなのです。その動物とは、「ネコ」です。現場は山裾にあるのですが、近所に住みついているようで、数匹の猫がいます。かわいいので、現場の状況写真を撮るときに一緒に猫の写真も撮ってもらうように担当の職員にお願いしてしまいました。休憩時間などには現場の皆さんの心の癒しになってい
るようですが、遠く離れた事務所にいる私の心も癒してくれ
ています。
文化財課学芸員 寺田香織 / 写真: 古墳の石室の前をお散歩するネコ
「はがき料金と切手と時代と」
2015.5.19
文化財課の事業で、毎回たくさんの応募をいただくものの中に、文化財講座「フィールドワーク」があります。これは、考古学・歴史学や文化財学の著名な先生とともに文化財を訪ね、解説をしていただくというものです。今回、5月30日(土)に広島大学大学院教授三浦正幸先生と「竹原・東広島の町家めぐり」を行ないます。参加者募集をしたところ、定員40名のところ147人の応募がありました。ありがとうございました。
応募は、往復はがきで行なうのですが、古い往復はがきに料金の不足分の切手を貼って応募される方もよくおられます。今回も色々な切手を見ることができましたので、少し調べてみました。
今回、応募のはがきで使われた切手で一番古いものは、日本万国博覧会記念切手二次15円切手(1970.6.15発行・45年前の切手です)で、会場のシルエットがデザインされています。
日本万国博覧会は、1970年(昭和45)3月15日(日)から9月13日(日)までの183日間、「人類の進歩と調和」をテーマに、大阪府吹田市千里で開催されました。岡本太郎氏が設計した「太陽の塔」はあまりにも有名です。入場者数は6421万8770人でした。入場料は大人(23歳以上)800円でした。ちなみに、この年の国家公務員(上級)の初任給は31,510円です。
次に古い切手は、1972年(昭和46)1.11発行のお年玉切手「宝船10円」です。お年玉切手はお年玉付き年賀はがきの賞品の色彩が強かったため、切手の発行は翌年の1月か2月でしたが、1953年(昭和28)(1954年用)からは、年賀はがきに貼れるように12月に発行されるようになりました。1971年(昭和46)(1972年用)は、郵便料金が
翌年2月から引き上げられたため、7円(緑の宝船1971.12.10)・10 円(青の宝船1972.1.11)の2種類が発行されました。
ちなみに現在の郵便料金は、はがき52円、封書(25gまで)82円です。古いはがきに不足分切手を貼る際はおまちがいなく(返信面も!)。また、珍しい切手を貼ったからといって、当落には一切関係ありませんので悪しからず・・・。
1970年(昭和45)の出来事
○よど号ハイジャック事件 ○ボーリングブーム
○マクドナルド日本1号店(銀座)オープン
○アポロ13号打ち上げ ○日本初の歩行者天国実施(銀座他)
※最大ヒット曲 「黒ネコのタンゴ」皆川おさむ 141.5万枚
1972年(昭和47)の出来事
○札幌冬季オリンピック開催 ○ミュンヘンオリンピック開催
○ハイセイコーが大井競馬場でデビュー ○日本の鉄道開業100年
○上野動物園でパンダ公開 ○連合赤軍による「あさま山荘事件」
※最大ヒット曲 「女のみち」宮史郎とぴんからトリオ 138.3万枚
郵便料金の変遷
第一種郵便物(定形) (封書は25gまでの料金) |
はがき (円) |
封書 (円) |
1967年(昭和41)7月~ | 7 | 15 |
1972年(昭和47)2月~ | 10 | 20 |
1976年(昭和51)1月~ | 20 | 50 |
1981年(昭和56)1月~ | 30 | 60 |
1981年(昭和56)4月~ | 40 | 60 |
1989年(平成元)4月~ | 41 | 62 |
1994年(平成6)1月~ | 50 | 80 |
2014年(平成26)4月~ | 52 | 82 |
文化財課主任指導主事 河村直明
(写真左:日本万国博覧会記念切手二次15円 / 写真右:お年玉切手「宝船10円」)
「マユミを育てて・・・」
2015.4.22
文化財課では4・5月になると小学校へ出張事業に良く行きます。色々なメニューはありますが、なかでも特に人気なのが弓矢体験です。復元した丸木弓で実際に的をいることができるこの体験は男子も女子も、そして先生までもがはまってしまう魅惑のメニューです。
以前、ボランティアさんに古代の弓の素材を聞かれました。遺跡から出る弓の多くはイヌガヤという木でできています。他にもカシ・トネリコ・マユミ等の弾力がある樹種が選ばれています。当課の体験弓は素材の入手が難しいので2本だけイヌガヤ製、他は全てヒノキで作られていると伝えました。
先日そのボランティアさんが伐採したマユミの木を持ってこられました。枝からは新芽が出ていたので、もしやと思い挿し木にしたら見事に根付いてくれました。順調に育って体験用のマユミの丸木弓が登場する日が来るかもしれません。
文化財課学芸員 桾木敬太
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「火起こし器で大炎上!」古代体験の準備 火起こし編3
2015,4,16
今年も新年度が始まりましたね。毎年1学期は、市内各地の小学校に出張授業にお邪魔しますが、人気なのが「火起こし体験」です。(「火起こし体験」の裏側に迫りたい方はこちらとこちらへ。)
当課の火起こし体験は、基本的には舞いギリ式火起こし器で行います。火種を作るところまでは根性さえあれば出来るのですが、問題は炎にするところ。少々コツがいるのです。私が心がけているのは次の3点です。
①火種を火口のかたまりの中心近くに置く。火口の縁近くでは熱が十分に上がらず、焦げるだけで終わって
しまいます。
②ちょうど良い強さで息を吹きかける。強すぎても弱すぎても火種が消えてしまいます。
③火口は一瞬で燃え上がるので火傷に気をつける。
文字にするとこの程度です。練習すれば出来るようになるはずですが、事業には時間制限がありますし、③の視点も重要です。結局、炎にする部分だけは我々指導側が行うことが大半です。でも、こども達自身で炎にさせてやりたいじゃないですか。
そんなある日、100均でいいものを見つけました。柄を握ると、網の部分がパカッと口をあける茶漉しです。(右写真)はじめて見たとき、ビビッときましたよ。さっそく1個購入し、実験です。
まず、網の部分にあらかじめ火口を適量つめておきます。火起こし器で火種が出来たら、火口の真ん中に挟み込んで口を閉じ、あとは外から吹きまくる。濃い煙が立ち上ってきたら、吹くのをやめて振り回すと・・・成功!大炎上!!柄を持っているので火傷の心配もありません。
「昔の人はこんなもん使ってないでしょう!」突っ込む声が聞こえるような気もしますが、キニシナイ。ありがとう○イソー!!
文化財課主任学芸員 荒川正己
「八朔と水軍の島」
2015.3.2
先日、尾道市の因島へ行きました。目的は、八朔です。
広島県は柑橘類の生産が盛んですが、中でも八朔は広島県尾道市因島が原産地とされています。いつ頃から存在していたか正確な年代は不明で、伝承では、青影山南麓にある浄土寺の住職・恵徳上人によって江戸時代末期に発見されたことが始まりといわれています。八朔とは八月朔日(旧暦の8月1日)のことで、その頃から食べられたことからこの名前がついたようですが、現在美味しく食べられる時期は2月~4月頃です。
因島には他にも多くの種類の雑柑と呼ばれる柑橘果実があったそうで、これは、島の気候が柑橘類に適していたことのほかに、中世に瀬戸内海を拠点に広く活動していた村上氏(村上水軍)によって持ち込まれたであろう外国や他地域の果実類の影響があったという説もあります。
島内には県の史跡に指定されている青影城跡、青木城跡、長崎城跡など、村上氏と関わりの深い多数の城跡や、毛利一族・小早川氏との交流を示すとされる品等も残されており、村上氏の活動の痕跡が多く見られます。城跡の中には、海城の機能を持つものもあります。海城とは、水軍等の海上勢力が築いた城で、山城と同様に城郭を構えていますが、船を繋いでおく岩礁ピットや船だまりといった船が潮を待ったり風をよける為の設備が設けられ、海と潮流が堀と土塁の役割を果たすという特徴を持った城のことを指します。
この他、隣接する生口島(瀬戸田町)には、国宝である向上寺三重塔や西の日光とも呼ばれている耕三寺などもあり、当初は八朔のお菓子だけが目的でしたが、実際に行ってみると、のんびり島をめぐりながら色々な柑橘スイーツと歴史や文化に触れることができました。
文化財課学芸員 寺田香織
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「今年は特別な毘沙門天初寅祭」
2015.2.20
安佐南区緑井町にある「権現山毘沙門堂」で毘沙門天初寅祭の本尊御開帳を見に毘沙門堂まで歩いて登りました。
初寅祭は旧暦の初寅の日とその前夜に行う毘沙門天のお祭りです。今年は新暦2月19日=旧暦1月1日がちょうど寅の日でしたので、その前夜(旧暦の大晦日)からお祭りが始まります。私は夜10時の御開帳に行きました。
近所に住んでいるので毎年行くのですが、今年は特別な初寅でした。というのも、昨年8月20日未明に起こった土砂災害でこの毘沙門堂やその周囲にも土砂や倒木が流入したため、大きな被害を受けました。 毘沙門天のご加護があってか、幸いなことに本堂は倒壊を免れ、仏像なども無事でしたが、 毘沙門堂は正面の軒を支える柱が倒壊して、四阿などは壊れたり手水鉢など石造物は倒壊したりしました。災害復興に際しては多数のボランティア等の協力により土砂を取り除き、本堂の軒柱は現在ベニアを立てて仮の柱とした結果、なんとか初詣・初寅に間に合うように仮復旧しました。初寅終了後に本格的な修復をするそうですが、周囲を見渡すと未だに至る所で土砂災害の痕跡が残っていました。
本日20日で土砂災害が起きたあの日からちょうど半年。なんとか初寅までに間に合わせようとして復興に勤しんだ皆様のご苦労に感謝とするとともに、地域の方々が支えて寺社や文化財が守られている、いや守っていかなければいけないと感じた特別な初寅でした。
文化財課学芸員 玉置和弘
写真(上:かつての初寅2013.2.16撮影・中:横から見たベニアの仮柱・下:全体の様子、線香台の屋根は仮設、燭台はなし)
「四十肩五十肩」
2015.2.18
今から2か月くらい前のこと、それは何の前触れもなくやってきました。右肩が思うように動かないのです。病院で受診すると「これは四十肩五十肩でしょう」とのこと。治療を続けるうち今度は左肩にも同様の症状があらわれました。夏場に発掘調査現場で運動不足の体を酷使したからなのでしょうか、もう若くないことをあらためて実感しました。
ある日、文化財課に来られたボランティアさんに話をしたところ、それは適度に肩を動かしたほうがよいというアドバイスをいただきました。さっそくカープの前田健太投手でおなじみのマエケン体操を真似してみたところ、肩や肩甲骨周辺の血行が良くなるようでなかなかいい感じなのです。周囲から「時がたてば治る」という声も聞きましたので、もうしばらく辛抱したいと思います。
現在、昨年10月まで行っていた塔之原遺跡の発掘調査で出土した遺物の整理作業をしていますが、 これがまた肩にはつらい仕事なのです。 先日まで一日中コンピューターに向かって遺構の図面を作成していましたが、今は復元された遺物の実測を行なっています。ミリ単位で正確に図面を作成する細かい作業ですが、実測する遺物が一つや二つではないのでたいへんです。カープに復帰した黒田博樹投手の肩は快調のようですが、私の肩はいつになったら回復できるのでしょうか。
文化財課指導主事 牛黄蓍 豊 / 写真: 実測中の土器
「春番茶をいただきました」
2015.2.5
先日、世羅町教育委員会の学芸員さんに「世羅茶(春番茶)」をいただきました。ありがとうございました。
1、番茶とは
現在では、番茶は硬い葉や古い葉で作られた下級茶のことを言います。番茶は、新芽が伸びすぎて硬くなった葉や、一番茶や二番茶の後に遅れて出て硬くなった葉、夏の暑い時期の三番茶や四番茶、冬前や春先に、茶樹の枝を整えるために刈り取った葉や茎でも作られます。冬前や春先のものをそれぞれ「秋冬番茶」「春番茶」といいます。
番茶は、日本茶の中でもカフェインやタンニンが少なく、さっぱりとしていて苦味が少ないため、幼児や御高齢・病気療養中の方に喜ばれます。浸出液の色は淡く薄いので、ペットボトル用のお茶の原料としても多く利用されています。
2、春番茶って
春番茶は、養分を蓄えて冬越しした茶葉です。 お茶には「ポリサッカライド」という物質が含まれていますが、秋から冬のお茶にこの物質が一番多く含まれています。「ポリサッカライド」は体脂肪の燃焼、血糖値の降下、糖尿病の予防、メタボリック症候群などに効果があるとされています。この「ポリサッカライド」は熱に弱いので水出しにしたほうがいいようです。しかし、飲めば飲むほど効果があるわけではありません。 個人差もあると思います。 なので、人間ドック前に飲みまくっても効果は保障できません(残念!)。
「春番茶」を水出しにして職場の皆さんに飲んでもらいました。すっきりとして飲みやすくおいしいです。職場の人たちにも好評でした。なんか体にいいような・・・
文化財課主任指導主事 河村直明
(写真上:世羅茶(春番茶) 揉んでいないので落ち葉のような茶葉です / 写真下:水出した春番茶)
- 2015.6.16
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