

上ヶ原第34号古墳 広島市安佐北区可部町中野所在
上ヶ原第34号古墳は、可部市街地の北西にひときわ高くそびえる福王寺山(標高約496m)の南東中腹、標高約130m付近に造られた横穴式石室を持つ古墳です。この辺りは、南に可部地区の平野部や、西の山間部を抜け出て大きく南へと流れを変え行く太田川などを望む、大変見晴らしの良いところです。この古墳は、市内を代表する横穴式石室を持つ古墳の密集地帯として知られる可部古墳群の一画にあり、砂防ダムの工事前の調査中に新たに発見されたため、調査を実施しました。
加えて、古墳が造られる以前の、弥生時代の遺構も確認しました。
なお、現在この古墳の発掘調査成果の整理作業を実施中です。

上ヶ原第34号古墳の位置図
①上ヶ原第34号古墳 ②上ヶ原古墳群(34基) ③原迫古墳群(15基) ④青古墳群(15基)
⑤城ヶ平古墳群(3基) ⑥九品寺南古墳(1基) ⑦九品寺北古墳(2基) ⑧給人原古墳群(16基)
※消滅した古墳も含みます。
上ヶ原第34号古墳の周辺の遺跡情報はこちら
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調査前の上ヶ原第34号古墳(真上から) | 上ヶ原第34号古墳の横穴式石室(真上から) | |
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上ヶ原第34号古墳付近から太田川方面を望む(北から) 中央の山は阿武山から北に延びた丘陵で、西の山間部を出た太田川はその裾を取り巻いて南へと流れを変えます。その手前に可部地区の平野部が広がります。 |
1 遺構
確認した遺構
上ヶ原第34号古墳は、調査前には、尾根の斜面に墳丘がわずかに盛り上がっているのが分かる状態でした(点線の範囲)。また、石室は天井石が露出し、内部には土が詰まっているなど、保存状態があまり良くないことが想定されました。調査の結果、墳丘、石室、墳丘内の石積遺構などを確認しました。
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①墳丘 墳丘は、背後の斜面を掘り込んで削り出し、手前に土を盛ることで成形されており、形状は平面が東西に最大径約10mの楕円形に近い円墳です。高さは現状で最高約1mですが、石室の天井石が露出していたことから、本来もっと高かったようです。 |
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上ヶ原第34号古墳の墳丘(南から) | ||
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上ヶ原第34号古墳の墳丘の断面 左の写真は墳丘と背後の斜面の境のもの。墳丘や周溝の上には、後世に黒ずんだ土が堆積しています。右の写真は墳丘の北側のもの。黒ずんだ部分は土を盛り上げたところです。 |
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②横穴式石室(東から) 石室は斜面を掘り込んで平坦な面を造成した上で築かれています。玄室(奥側の遺体を納めるところ)と羨道(入り口から玄室までの通路)が明確に分かれていない無袖式で、南東に向かって開口し、残存する規模は長さが最大約7m、幅は最も広いところで約1m、高さは奥壁部分で約1.2mと小ぶりなものです。壁は奥壁に最も大きな石を用い、側壁は4〜6段ほど石垣状に積んでいます。盗掘のためか、天井石は後世に動かされてしまっています。底面の一部には敷石が施されていました。 |
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上ヶ原第34号古墳の石室(真上から) | 上ヶ原第34号古墳の石室(正面から) | |
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床面の敷石と副葬品が出土した様子(真上から) 副葬品として須恵器や鉄器も出土しています。 |
上ヶ原第34号古墳を築くために削られた斜面(真上から) | |
③墳丘内の石積遺構 斜面の低い側となる古墳の前面(東側から南側にかけて)の墳丘の内部に、石積み状の遺構が見つかりました。墳丘が崩れない様にするためなどの目的が考えられます。 |
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上ヶ原第34号古墳の墳丘内の石積遺構(東から) |
2 遺物
出土した遺物
上ヶ原第34号古墳の石室内で副葬時のもとの位置を保っていたものは、数点の須恵器や鉄器のみです。しかし、周囲からは数多くの弥生土器、須恵器などが出土しました。その中でも、石室の入り口前や墳丘の裾から出土した須恵器や耳環などは、この古墳で追葬が行われた際、その前に石室内に副葬されていたものを掻き出したものと考えられます。現在、それらの遺物の整理作業を進めています。
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上ヶ原第34号古墳の東側で出土した耳環 |
上ヶ原第34号古墳の発掘調査日誌はこちら


